2014年4月4日

喉の渇きで目を覚ました。雨は止んでいる。昨日の夜からイギリスに長期滞在していた友人と連絡を取っている。今ギリシャに居り、その脚でそのまま明日の花見に来てくれるという。メッセージに添付されたパルテノン神殿の画像。小高い丘の上の、というより神殿そのものが丘なのだ。経済危機、国家の黄昏。家をでれば雨に打たれた花びらがフェンスに軌跡を残している。桜はどの程度散ったのだろうか。歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」、題名の美しさに全てもっていかれた。

実家の沿線付近で警察沙汰やら何やら、そんないざこざの後、箒のようなロケットに跨り、空を飛んだ。かなり長い時間、山にぶつかりそうになれば脚で蹴って方向を転換して、気の済むまで。
路上の露天前に小動物が引き締め合うなか、蛇がゆっくりとそれを飲み込んでいった。

昼食。雲も無く良い天気だ。朝、以前担当したクライアントの女性を目の前に見つけたが顔を確認しなかった。顔を確認しなければ本人かは判断出来ない。シュレディンガーのクライアント。

通り雨に打たれる。打たれに行ったというのが正しい。職場にいるよりマシだろうと判断した。傘は昨日ラーメン屋で盗まれて持っていない。もちろん会社に置き傘するような事はしない。思いの外、雨は強い。雨に濡れながら思う。馬鹿らしい。今日何度屁をこいたのだろう?どうでもいい。女性のシャツから見える胸板。背の高い女性ばかり視界に入ってくる。百貨店に寄り以前から興味のあった菓子を購入する。明日の花見のお土産だ。こういう場でしか買う事もあるまい。ピエール=エルメのマカロン、シャンパンは無し。惣菜にも目移りするが百貨店を出る。

縁があればいいと思う。簡単に切れない縁だ。以前、職場の女性は言った。
「どんなに好きあっていても、長く一緒にいても、なぜか一緒になれない人っているじゃないですか。縁が無いって言うんですかね?」
彼女が指摘したのは、運命とか宿命とかそういったものだ。おそらくそう考える事で自らを救ってきた言葉だ。どうしようも無かった何か。これは言い訳なのだろうか。いや違う、これは経験的な言葉なのだ。

これから上野に行き、レジャーシートを敷かなければならない。ただ敷いたのでは面白くない。適当なコピー用紙にマジックで文句を書いていく。思いのほか自分が盛り上がっている事に気がつく。

自宅を出る。外は思いのほか寒い。家路に向かう人々とすれ違いながら孤独を感じている。孤独とは独りの時に感じるものだろうか?人混みの中で、比較するものが見えた時、独りであることに気がつく。
上野の公園でレジャーシートを広げる。友人も駆けつけてくれて助かる。とにかく風が冷たい。寒さで何でも良くなってしまう。レジャーシートの皺を伸ばし険しい表情は皺を刻む。明日の為にピザ屋に出向き予約注文する。店舗での受け取りは一枚無料、なんかよくわからんがオードブルも付いた。一度公園に戻り敷いたレジャーシートの様子を見る。風で皺が出来ている。濡れたアスファルトはガムテープを弾いた。応急処置を施す。明日にまた張り直す必要があるだろう。

終電間際の電車に乗る。満員電車、アルコールの匂い、上々な気分は声と態度を大きくさせる。間違いを犯し、理性を侵犯する。
というか終電間に合うのか、これは。
今からマスカラを直す目の大きな女、手元にはキャリーバッグ、出張する性的サービスを連想させる。夜の寒さが俺をつまらなくさせる、露わにする。女性と目が合う。大きな両の目に、何度俺のような視線が向けられたのだろう。空になったビール瓶のように、軽薄な何かが湧き上がる。
本当に終電間に合うのか、これは。