2014年3月11日~2014年3月18日 3

title:嵐と袴
subtitle:帯をきつく締めて 2014/3/13

午前四時頃目が覚め、一服して二度寝をしたら、スーパーマーケットで高校生にいたずらされた事に激怒した俺は高校生に損害賠償請求する事を夢の中で叫んでいた。

駅まで道程で袴を着た女性を見掛けた。近くの大学で卒業式があるのだろう。彼女は今日の為に着付けも可能な美容院を予約し、私が二度寝に入った時間には出掛ける準備をしていたのだろう。今日という日の生き方は人の数だけある。そんな当たり前の事の途方の無さ、無限に近いバリエーションに圧倒される。

顔を洗っていると蛇口から茶色いに濁った水が流れている事に気がついた。鏡を見ると口をすすいだ為か口の周りが茶色く汚れている。珍しい、実家では地下水を汲みあげていたからこういう事はごく稀にあった。お湯を止めると濁った水は出なくなった。冷たい水で顔をすすぐ。

目の前の男性が掲げたスマートフォンのメールの一文が目に入る。
「四月から××病院の勤務になります。第一土曜日と第三土曜日も勤務になり、転勤早々休暇を取るのは難しいと思います…」
男性は私服にトートバッグという装いだった。医者は車で移動するという先入観があった。彼は医者なのだろうか、それとも看護師か事務員なのだろうか。

地下鉄の構内を歩いている。構内から直接デパートに入れるようだ。俺は初めて訪れたであろうこの場所の右も左もわからないという状況だ。そのまま構内から階段を登る。

午前四時に起きた際、喉に渇いた痛みを感じた。風邪をひいたかもしれない。取り敢えず起きてコーヒー牛乳と煙草で一服する。学生時代、精神科医の講義を受講していたが、彼は不眠症についてこう語った。
不眠症の人に多いんですが眠れないからと言って煙草を吸うのはよくありません。煙草は覚醒作用がありますから余計眠れなくなりますよ。」
そんな言葉を思い出しつつ、さっきまで見ていた夢を思い出す。蛇口を捻って出てきたのは茶色く濁った泥水。錆と泥にまみれた温水で口をすすげば、口の中を砂粒が擦れ、血の味がするのだろう、しただろうか、いやわからない。

駅の構内を進むと小さな子どもを連れた男性がいる。子どもは跳ねたりしながら、男性の先を進む。男性の懐には更に子どもが抱かれている。男性の髪の色はロマンスグレーだ。遠くから見たとき老人が子どもを連れているのかと思ったのだが、前にまわると精悍な顔つきをした四十代の男性だった。先を行く子どもの頭の天辺で結わえられた髪の毛が揺れている。

隣に座った社員たちが言い争いを始める。また始まったのか。そんな空気が事務所に満ちる。

一階は食品売り場だった。俺はここには用は無いと再度地下に降りた。地下の店舗はスポーツショップ兼リサイクルショップのようだった。役に立ちそうも無いガラクタが埃をかぶったビニール袋に入れられてぶら下がっている。

卒業式に袴を着たのは担任の女性だ。小学校、中学校と最終学年の担任は、違う、小学校、中学校と担任は女性しかいなかった。高校の卒業式は、受かるはずもないのに-今あるか知らないが-公立大学の中期試験を受けていて参加しなかった。もちろん、出たいとも思わなかったが。しかし、あの時知ったのだ、区切を感じる事が出来るものには参加した方がいいのだと。
中学生の時の担任は、なかなかいかつい体型をした女性で、大学時代サッカーをしていたという。基本的に我関与せずという指導方針だったのか、説教をされた記憶は無い。話を聞けば有名な進学校を出た後、地元の国立大学に進学したという話だった。

勤務時間が終わる。雨が降っている。上司は喫煙所から戻ってこない。隣に座った先輩は言う。
「嵐がくると帰れなくなるよ。早く帰る支度をしなよ。」
ノートPCを片付け上着を羽織る。先輩に促されるままエレベーターに乗る。独り残された上司。先輩のささやかな復讐だろうか。だとしたら俺は手を貸したのだ。

傘を自宅に置いたままだ。天気予報なんて土日しか確認しない。それ以外、晴れようが雨だろうが関係ない。俺は金曜日の夜から日曜日の午後十一時頃までの為に働いている。
まさか自分がこんな風に考えているとは昔の俺は思いもしないだろう。
それはそうと雨だ、風も強い。傘は無い。でもきっと必要無い。駅と家まで少し雨に降られるだけの事だ。

会社の引き出しに入れていた薬を取り出す。以前保健組合から配られたものだ。封をきってトローチを舐める。パイナップル味のトローチ。口で溶け、鼻から抜けていく匂い。二粒舐めたところで喉の違和感はわからなくなった。感覚がバカになってしまっただけだろうけど。

店の中を進むと複数のレジが見えた。レジの方から学ランを着た高校生がやってくる。何が楽しいのかニヤついている。その中の一人が商品が入っていないカートを運んでいる。俺はその場を立ち去ろうと彼らに背を向ける。すると尻にカートがぶつかった。痛みは無い。振り向くと高校生たちが笑っている。俺は怒りの声を挙げる。高校生の一人は声に怯みながら俺の名前を呼んだ。なぜ俺の名を知っている?名札でもしていただろうか。しかし俺は胸元に名札があるか確かめもせず叫んでいた。

学級委員を務める俺は命じられるままにクラス目標を決める為にクラス会を開いた。誰も目標を挙げる人等いない。そんな事は最初から判っていた。そしてクラスの連中も俺のそんな侮りを判っていたのだろう。俺はそそくさと適当な事を言ってクラス目標を決めた。すると担任は俺を呼び出し「級長が決める事では無い。」という。更に遠慮しながら言った。「なんというか、独裁というか。」と。

客先に書類を届ける為に事務所を年長者の社員と出る。雨は小雨だ。年長者の社員は言う。
「あのまま二人の言い争いが始まるのかと思った。」
「そうですね。」
「あいつももう少し言葉遣いに気をつければなぁ。お前はあいつより年上だっけ?」
「いえ、年下です。」
「もう少し言葉遣いに気をつけろって言ってやれよ。」
「僕が、ですか。」
「お前しかいないだろう。」
「ええ?二人の言い争いは今に始まった事じゃないと思うんですけど………わかりました。それとなく伝えてみます。」
完成途中の建物の外壁のサイディングの模様が雨で黒く滲んでいる。

「独裁…ですか。」
まさかそんな言葉を聞く事になるとは。私は黙って担任の言葉を聞いていた。この指摘に俺は非常に傷ついた、と同時に何も言い返せなかった。俺は再度クラス会を開きクラス目標を決めた。つまり俺が決めなくても方法等幾らでもあったのだ。俺はその後、この先生を嫌ったが、確かに指摘を的を得たものだったのだろう。その後悉く俺は人を取り仕切る事に失敗した。

買い物を済まして家に戻る。掛けていた物干し竿を外し、雨に濡れた髪と背広を拭く。換気扇から雨の音が聞こえる。コーヒー牛乳と煙草を吸う。

卒業式に担任が袴を着ていた事に俺は驚いていた。担任も女性だったのだ。我関せずとスーツでも着てくるのかと思っていたのだ。
俺が卒業した後、この担任は自ら志望して転任したようだった。元々、かなり遠くから通勤していたし、田舎の中学校に飽き飽きしていたのかもしれない。