『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』

チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』を読んだ。
東浩紀等が立ち上げた株式会社ゲンロンで創刊された思想地図βの新刊。尚、思想地図βでは東日本大震災が発生した年に「震災以後」と題した特集号を発刊している。
本書は、1986年4月26日にチェルノブイリで発生した原発事故により立入禁止となった地域が27年の歳月を経過し、観光地化した現状を取材したものである。
本書の第一部は取材陣が立入禁止区域内の一泊二日のツアーの内容をチェルノブイリ博物館の展示と共に紹介、第二部では立入禁止区域内を管理する立入禁止区域庁副長官、チェルノブイリ博物館副館長、元自己処理作業員の作家、NPO代表、旅行会社代表に対するインタビュー、そして取材内容の詳細な考察が、取材先の豊富な写真と共に掲載されている。
また本書の題名にある「ダークツーリズム」とは、本書の執筆者の一人である観光学者の井出明によれば「戦争や災害といった人類の負の足跡をたどりつつ、死者に悼みを捧げるとともに、地域の悲しみを共有しようとする観光の新しい考え方*1」であり「学問的には一九九〇年代から研究が始まり、初期の頃は第二次世界大戦に関連した地域が多く取り上げられてきたが、近年、ニューヨークのグラウンド・ゼロなどにも研究の幅が広がりつつある。*2」というものだ。
続刊として『福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2』が用意されており、福島第一原発事故の記憶の継承と復興を「観光」の面から提案する「福島第一原発観光地化計画」の調査の一環が本書なのである。


  • フィクションとの関係性

本書を読んでまず驚いたのは、チェルノブイリ原子力発電所の周囲30kmの立入禁止区域内が「ゾーン」、立入禁止区域内の案内者、そして旅行者が「ストーカー」と呼ばれている事である。これはタルコフスキー『ストーカー』、そして『ストーカー』の原作であるストルガツキー兄弟の『路傍のピクニック』を由来とする。立入禁止区域内の案内者を見た米国の報道写真家がストルガツキー兄弟の小説を連想し「ストーカー」と紹介した事でこの呼称が一般化したという*3。尚、『ストーカー』、『路傍のピクニック』はチェルノブイリで発生した原発事故以前に発表された作品である。
更に『ストーカー』から着想を得たチェルノブイリ原発周辺を舞台としたゲーム『S.T.A.L.K.E.R』シリーズの発売により、興味を持ったプレーヤーがチェルノブイリを訪れているという。速水健朗はフィクションが新たな側面を生み、チェルノブイリを重層化させるという*4。そしてゲームをプレイする事によって興味を持ちチェルノブイリを訪れる人々を、本書の取材に応じた人々は「チェルノブイリに興味を持ち考えるきっかけになればよい。」と語る。


津田大介チェルノブイリから考える―報道、記憶、震災遺構」によれば、チェルノブイリ原子力発電所は現役の施設になっており事故が起きた4号機以外、1~3号機は1986年に稼働を再開、2000年に発電を停止するも現在も送電施設として機能している。これはウクライナのエネルギー事情にもよる。ソ連崩壊後、独立したウクライナはエネルギー分野での自立の為、原発に頼らざる得ず、原発15機が稼働中、エネルギー依存率50%である*5


  • ゾーン内の観光の意味

「ゾーン」内の観光が公式化したのは2011年12月以降になり、立入禁止区域庁の管理を行うかたちで旅行代理店がツアー客を募集出来るようになったという。政府側の目的は「外部の人にゾーンを見せることで、放射能の危険性に対して正しい認識をもってもらうため*6」である。これは上述したウクライナのエネルギー事情による。つまりゾーン内の観光という情報公開で以て原発政策を維持する立場という事だ。但し、立入禁止区域庁第一副長官ドミトリー・ボブロは加えて「情報公開は諸刃の剣で、原子力支持にも否定にも仕向けることができる。わたしたちは客観的なポジションを取るように心がけています。」「ウクライナは電力の約半分を原発に頼っており、少なくともこれから二十年はこの比率を維持しなくてはなりません。ですから、住民と政府で信頼関係を築くために情報公開は不可欠です。」と語る*7
一方、同じウクライナ人で作家・チェルノブイリ観光プランナーであるセルゲイ・ミルヌーイ氏は「チェルノブイリ観光は政府が運営しているものではありません。ゾーンの管理機関は邪魔しないというだけです。最近は観光が経済的な利益を生むようになったので、政府が多少は支援をしてくれるようになりました。しかし、実際に事故の爪痕を目にした観光客が、心から原子力を歓迎するようになるでしょうか。ありえないでしょう。とはいえわたし自身は、ツアー客に、原発を稼働することに伴う危険性と、大量の稼働停止がもたらす危険性を落ち着いてはかりにかける必要があると言うようにしています。*8」と語り、エネルギー政策推進としてのゾーン内の観光効果に否定的である*9


チェルノブイリ博物館における展示はドキュメンタリーなアーカイブが中心となった展示物は3割程度であり、東方正教を背景とした「抽象的でアーティスティックな展示形式」が7割を占める*10開沼博は「一方では見る者に解釈と感じ方の自由を任せているとも言えるし、他方ではただ「客観中立的な描写と解釈」の中で歴史を消化することを許さない姿勢をもっているとも言える。*11」と言う。チェルノブイリ博物館副館長アンナ・コロレーヴスカは事故責任はだれにあるのか問われ「われわれ全員です。わたしたちは広い意味でみな罪があります。すべてが連鎖している。若い世代への教育に力を入れているのはそれゆえです。危険なボタンを押すように言われて、それをやってはいけないことを認識しているのに「ノー」と言うだけの力を持たなかった。これからはそこで拒否する人間を育てなければならない。誰がボタンを押したのかではなく、なぜそのボタンを押してしまったのか、それを社会学者や哲学者の視点から考えなくてはいけない。*12」と答えている。この博物館の哲学と展示方法を開沼を評価するものの、来館者がその意図を理解していない事を危惧している。


  • 震災遺構

津田大介チェルノブイリから考える―報道、記憶、震災遺構」によれば、広島の原爆ドームは原爆の記憶を呼び起こす為に一部市民から撤去の要望があり取り壊される可能性があったという。しかし、一歳の時に被曝し、十五年後白血病で亡くなった梶山ヒロ子が残した日記に「あの痛々しい産業奨励館(原爆投下時における原爆ドームの施設名称)だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世にうったえかけてくれるだろう……」とあった。この日記に心打たれた平和運動家の河本一郎が中心となり保存を求める運動をする事によって、広島市議会は原爆ドームを永久保存する事を決議したという*13
悲劇の記憶を残す為には何かをかたちで残さなければならない。そしてかたちを残すには早く遺す事を決め、対応を取らなければならないという。しかし、当事者の意見を無視する事もまた出来ない。広島の原爆ドームでさえ残す事が難しかったという事実は重い。しかし津田は「震災直後は圧倒的に解体派が優勢だが、時を経るごとに保存派が増えていく。」とし、当事者をケアし意見を尊重する事を念頭に置きながら「当事者の意見が常に正しい訳ではない。むしろ、震災の記憶を忘れさせないという点において、当事者の意見はネガティブに作用することも多々あることを我々は認識しておくべきだ。」と震災の記憶を風化させる事態に戦うべきだと語る*14


以上、本書の気になった点を参照、引用した。その他では井出明の「チェルノブイリから世界へ」を読めば、ダークツーリズムが思いの他身近なものである事が判るだろう。
観光という市場へ震災の記憶を引き上げ、福島県及び東日本が経済的に潤うという好循環が一つのサイクルとなれば、ダークツーリズムに疑義を呈する人は少なくなるのではないか。その為の前段階として、NPOや政治の力もまた必要となるだろう。本書の観光に関する考察から、様々な要因と、その要因を調整する多角的の視点が用意されており、その視点を読者に一部もたらしてくれる*15



チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1

チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1

*1:チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』井出明「チェルノブイリから世界へ」p053より引用。

*2:同上より引用。

*3:同掲載書、津田大介チェルノブイリから考える―報道、記憶、震災遺構」p070を参照

*4:同掲載書、速水健朗「空想のなかのチェルノブイリ」p148を参照。尚、本書はアニメ・ハリウッド映画・ゲームからチェルノブイリが重層的な面を持つ事が論じられている。

*5:同掲載書、津田大介チェルノブイリから考える―報道、記憶、震災遺構」p067~068を参照

*6:同上p072より引用。

*7:同掲載書「ウクライナ人に訊く 啓蒙のための観光 1 立入禁止区域庁副長官 ボブロ」p082より引用。

*8:同上「情報汚染に抗して 作家ミール・ヌイ」p090~より引用。

*9:同掲載書、津田大介チェルノブイリから考える―報道、記憶、震災遺構」p072~073を参照

*10:同上p074を参照。

*11:同掲載書、開沼博チェルノブイリから「フクシマ」へ」p134~135より引用

*12:同掲載書、「ウクライナ人に訊く 責任はみなにある 博物館副館長 コロレーヴスカ」p097より引用。

*13:同掲載書、津田大介チェルノブイリから考える―報道、記憶、震災遺構」p075を参照、

*14:同上、p077~079を参照。

*15:福島第一原発観光化計画」を不謹慎、金儲主義という点以外、SF的な視点から批判しているのは、まだ読了していないが藤田直哉『虚構内存在』である。その批判については別記事に譲る事にする。