『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』同時上映『巨神兵東京に現る 劇場版』

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』同時上映『巨神兵東京に現る 劇場版』を観た。

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の最新作。ヱヴァに命を捧げている友人*1と一緒に観た。
物語は宇宙から始まる。ヱヴァンゲリヲンに搭乗する眼帯をつけた式波=アスカ=ラングレー、真希波=マリ=イラストリアスは宇宙空間を彷徨う十字型の箱を目指している。真希波の援護のもと、十字型の箱に取り付いたアスカだったが直後、十字型の箱に寄生していた敵の強襲に遭う。十字型の箱奪還が優先される状況に於いて攻撃を受けながらアスカが叫ぶ。
「何とかしなさいよ、バカシンジ!」
すると十字型の箱より光線が射出され、敵を殲滅する。呆然とするアスカは十字型の箱と共に地球に帰投するのだった…。
十字型の箱に保管されたヱヴァ初号機は反ネルフ組織ヴィレに回収される。そして始まる敵との艦隊戦…一体この物語の世界はヱヴァなのか、パラレルワールドへ突入してしまったのか。訝りながらスクリーンを眺め続けた。
そして明かされる前作後の世界、時間の経過。シンジは観客と同様、その状況を理解する事が出来ない。そんなシンジに苛立つ周囲の人々、そして苛立つシンジ。そして両者のディスコミュニケーション、説明されない用語に私は苛立ち、というより、呆然とするしかなかった。

物語は確かに前作を終え新たなステージへ入った。それは予想通りだった。しかし前作までのエンターテイメント性は意図的に削ぎ落とされている。
旧「エヴァンゲリオン」を彷彿とさせるディスコミュニケーションペダンティックな用語には正直今更という感が否めない。ただし旧作からエヴァ好きな人たちに取って、「これこそ観たかったエヴァだ」という感想もあるようだ。
しかし私はやはり、なぜ?と頭をもたげる。前作までの判るヱヴァでは駄目なのか、と。
エンターテイメント性とリーダビリティが高いヱヴァに新鮮さを感じた私にとって、本作は突然の路線変更であり全くの期待外れだと言ってもいい。
リーダビリティを突如、あからさまに意図的に低くされたという事態を終始受け入れられなかった。
おそらく友人と一緒に観なかったら私はこの作品を理解する事が難しかっただろう。そして友人のようにこの作品こそ、という思いは未だ持てない*2
しかし、前作と本作の急転直下の環境変化が自明になり、次回作でこの物語が終わるであろう事が予告された今、一体この物語をどのような決着をつけるのか意地悪く期待している*3

私は今回ほどリーダビリティについて考える事もなかった。
一体この事態は何に起因するものなのか*4、とても気になる。
最初から小難しい話として描かれていればこんなにとまどう事も無かっただろう。しかし、旧エヴァも途中から難解な展開が用意されていたのだったか。やはりそれなら作品を改める必要も無いのでは?しかしそれも含めての再構築なのか…。

巨神兵東京に現る』は非常に面白く、俺が何も知らずに純粋に映画を自分から観始めたのはゴジラという特撮だったのだと嘆息した。
でも巨神兵ってでかすぎだろ〜。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (EVANGELION:1.11) [Blu-ray]

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*1:本人談

*2:友人によれば「ヱヴァで10年代が始まった」らしい。

*3:次回作で全ての伏線が回収されれば、何も問題ないのだろうけど。

*4:震災後の脚本の書き直しなど色々要因があるようだが。