『ストーカー』『惑星ソラリス』

キネカ大森にて『ストーカー』『惑星ソラリス』を観た。
『ストーカー』のポスターが異様に格好良かったので、この機会に観に行った。同時上映の『惑星ソラリス』は今年に二度目の観賞になった。

『ストーカー』、突如出現した「ゾーン」、そこには願いが叶う部屋がある。ゾーンのルールを理解する「ストーカー」の案内のもと、科学者と作家は「ゾーン」へ侵入するという物語。
「ゾーン」、街の廃墟、破壊された軍事車両、生い茂る緑、ぬかるみ、水、地下排水路、室内に盛られた砂、ストーカーと科学者と作家は怯えながら願いが叶う部屋を目指す。
最後に願いが叶う部屋を前にして作家はいう、「ゾーンは人間の潜在意識を実現するものなんだ、そんな糞みたいなものはまっぴらごめんだ」と。
最後の願いが叶う部屋を前にして科学者はいう、「願いが叶う部屋を爆破させる」と。
それを前にしてストーカーはいう、「私にはゾーンしかない、願いが叶う部屋を必要にしている人もいる」と。
爆弾を持つ科学者に取り縋るストーカーを作家は振り払う。そして科学者は爆弾を解体して願いが叶う部屋に放り投げる。
カメラは願いを叶う部屋から、願いが叶う部屋を前にして途方に暮れている三人を捉えながら、引いていく。
ゾーンから帰ったストーカーは布団に入りながら妻に語る。
「あいつらはただのインテリだ、誰も願いが叶う部屋を必要としていないのだ」と。
誰も必要としない部屋を案内し続けるストーカー、「ゾーン」しかないストーカー、誰も願いが叶う部屋を必要としていないという現実。
何かを欲しているが、それが叶うのを恐れるのは、その先が見えないからか。そもそも実は何も欲していないのではないか。私たちは動物として欲求こそ持て、独りでは欲望出来ないのではないか。そしてただ目指したという現実と疲労だけが残る。
なかなか退屈な話で面白かった。

惑星ソラリス』を二度見て主人公の妻で素粒子で再現された妻が「私は人間です」と告白するシーンが感動的なのかなと思った。
そして、「結局は良心の問題なのだ」と自殺した科学者が再現した走り去る小さな「彼女」は、科学者が欲情した少女だったのか、それとも…等と考え、記憶の一部を再現する惑星ソラリスに於いて、改めて良心を考えるのだった。再現された記憶に対して、自身の論理、道徳が問われる。やはり過去は時間によって罪を希釈されるが、それが出来ない場所が惑星ソラリスだ。『ストーカー』の作家の言葉を借りれば「ゾーンは人間の潜在意識を実現するものなんだ、そんな糞みたいなものはまっぴらごめんだ」という訳である。
とまぁ、結局以前の話に戻ってしまった訳だが…


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