『奈義町現代美術館』

荒川修作+マドリン・ギンズの『遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体』について先日の記事にまとめたが、奈義町現代美術館にはその他の作品も展示されている。
まず美術館受付からも見える「大地」の部屋には、宮崎愛子作品『うつろひ』が展示が展示されている。

 
 
 
 
 





【宮崎愛子作品『うつろひ』。ベンチに座りながら、水が流れていく音が「ちょろちょろ」と聞こえる。】

屋根の無い展示場所に設置されたベンチに座り、灰皿が設置された、そこで煙草に火を点け、風に揺れるワイヤー、流れる水を眺める。
私は荒川修作+マドリン・ギンズの『奈義の龍安寺』を見に来た訳なのだが、むしろこの作品こそ「龍安寺の石庭」なのではないかと思うのだった。
ただし「龍安寺」が普遍的な世界を切り取ったものならば、「うつろひ」は水の流れる音が時の流れを、変わりゆく世界を体感させる。

 
「大地」の部屋を抜けるとギャラリーがある。上記画像は『うつろひ』のスケッチと思われる。

ギャラリーには「月」の部屋に展示されている岡崎和郎作品『HISAHI―補遺するもの』の模型が設置されている。
そして「月」の部屋に向かう。



                   

岡崎和郎作品『HISAHI―補遺するもの』。半月の室内。ざらつく足元は三和土。足音がざらざらと室内に響く。】

室内に入ると足音が響く。壁に設置された金色のHISASHIは何を意味するのか。そもそも天井のあるこの部屋にひさしは必要無いはずだ。
HISASHIを眺めていると有機的な、私はイルカの滑った肌を連想した。手で触れ、爪で弾けば「ツーン」と小さく音がなる。
曲線を描くベンチはつるつると滑り、体重を後方に向ければ壁とベンチの間に体が挟まっていく。
冷たい壁、音を鳴らす砂混じりの三和土、ガラスから入る光、持て余す体…そこにいる事が無為を促す。
外に出て「月」の部屋を眺める。

 
【車も通らない道路で、初秋を感じながら、山から吹く風が冷たい。】

常設展示を観終えた後、「小田宏子 展 〜共にあるものについて〜」を観る。
その後、わざわざ岡山まで来たのだからと友人が迎えに来てくれるという事で館内とその周辺をうろつく。
奈義町現代美術館は磯崎新設計との事で、併設された図書館も小型ながら、外国の大学図書館を連想する、洗練されたものになっている。

 
 
                   
【奈義町現代美術館、併設された図書館。室内中央から入り込む光、窓から見下ろす奈義町。】

建物を出て芝生に座っていると、津山駅から一緒にバスに乗っていた女性が建物から出、美術館の写真を撮り終えた後、バス停に向かって行った。
芝生に座る私をチラと見た…ような気がした。声でも掛ければよかったのか、などと身勝手に思いながら。
私の休暇はこの後、京都・奈良と修学旅行の塩梅で進む。この日は結局、友人の家に泊まる事になった。