くそったれ!少年時代

 チャールズ=ブコウスキー著『くそったれ!少年時代』を読んだ。
ブコウスキーの自伝小説というものらしい。自伝小説という分類がどういうものなのかは判らない。とりあえず、いつものブコウスキーの小説と同じように読んだ。そもそもブコウスキーの小説自体、自伝なのか創作なのか分類が出来そうにもないし、とりあえずブコウスキーの事なのだろうと読むしか私に出来なかった。
 私がこの本を読んでいる時、なぜかマンションで数人の野郎共と一緒に共同生活を送っており、話によれば、そのマンションはヤクザまがいの発砲事件があったという噂もあった。私は野郎共との共同生活に3冊本を持っていた。2冊はシュヴェーグラーの『西洋哲学史』であり、もう1冊は『くそったれ!少年時代』だった。『西洋哲学史』を持っていったのは、インテリぶってやろうという魂胆もあったが、暇過ぎて少しは勉強をする気になるかなと思ったという理由がある。しかし暇になる前に野郎共との共同生活は終わったし、『西洋哲学史』の頁を開く気も失せてしまった。そんな中、仕方無く、『くそったれ!少年時代』をぐずぐずと読み終えた。読み終えた頃には季節は秋から冬になろうとしていた。野郎共との共同生活は3ヶ月を予定していたが、あっさり1ヶ月位で終わり、東京での単調な生活を再開せざる終えなかった。

 自分の少年時代を思い返すと、井上陽水の「少年時代」のような美しい描写をしたいし、語りたいと思うが、少年時代を思い返せば、分厚く小さい画面に向かってテレビゲームをしていた事や、季節の移ろい感じさせない杉林が目に浮かぶ。私が住んでいた場所は林業が盛んという事になっており、杉林ばかりで季節の彩りを感じさせる広葉樹が目に入る事がまれだった。元々地元に住んでいる人もいれば、どぎつい色の家が乱立した新興住宅に住む人もいた。区画整理され住宅が建つ事が予定された空き地がそこかしかにあり、アスファルトの上でサッカーボールを蹴り、飛んでいったサッカーボールをセイタカアワダチソウの密集した空き地から拾い上げ、埃まみれになった靴下で友達の家に上がりこみ、テレビゲームに熱中した。
 気がつけば、無駄に目立つジャージに着替え、学校に向かうようになった。面白くも無い授業の休み時間、朝連でかいた汗を吸った体操服は納豆のような匂いがした。中学校2年生の時、自分を知ろうという目的で実施した心理テストに真面目に回答した結果は「自殺型」となっており、一体これでどうしろというのだと絶望的になったのを憶えている。救いがなさ過ぎる。何だか全てが面倒臭くなり、部活を放って自転車で海に向かったが、曇り空の荒れた外海は、気持ちが晴れるどころか、世界の果てのように見え、道に迷いながら家にたどり着いた時、その日1日全て無駄になったような気がした。
 電車に乗り、学校に向かうようになった。弓道部に入部し、道着に着替え、朽ち果てそうな道場で弓を引けば他の事はどうでも良かった。しかし弓を引けば引くほどつまらない事を考えるようになり、最終的に弓を引くことはおろか、学校に行く事さえ拒否した。部活を辞め、大学進学という適当のお題目を設けて、受験勉強に取り組んでいるフリをした。
 電車に乗って学校に向かう毎日に変わりは無かった。都心の大学まで2時間電車に乗る日々が4年間続いた。単調な講義に、落とし続ける第2外国語の講義、食堂から漂う匂いにむせ、長い休みに身を投じた。
 中小企業に入社し、研修という名の共同作業をしている中、年上の同期に怒りを覚え、試用期間中に会社を退社し、ハローワークに通った。運良く得た仕事は、試用期間に野郎共との共同生活を条件としていた。私は荷物をまとめ、インターネットから新幹線の予定時刻を確認する。新幹線に乗るのが、初めてだという事に自分の世界の小ささを思い知らされる。野郎共との共同生活は3ヶ月を予定しているという。私は未読の本を持っていく事にした。文庫本で、適当に読める本と、真面目に読める本がいい、そう思って選んだ3冊はシュヴェーグラーの『西洋哲学史』とブコウスキーの『くそったれ!少年時代』だった。結局、『西洋哲学史』なんか持ってくるべきではなかったと後悔した。未だに『西洋哲学史』は未読である。


くそったれ!少年時代 (河出文庫)

くそったれ!少年時代 (河出文庫)


西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))

西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫 (33-636-1))


西洋哲学史 (下巻) (岩波文庫 (33-636-2))

西洋哲学史 (下巻) (岩波文庫 (33-636-2))