部屋に帰って

ここ最近、壊した携帯電話の代わりにiPhoneを購入して、以前の友人たちと連絡を取っている。やれ仕事が忙しい、海外に行っていた、関西に移り住んだ、と色々な情報が入ってくる。何だ、皆、自由に生きているなと羨ましく思う反面、自由に見えるその生活の中に、実は多くの制約でがんじがらめになりながら、やっとの事で実行したのかもしれないと考え、何だか溜め息がつきたくなる。

気がつけば、もう9月の半ばだという事に驚き、まぁそうだろうなと思う。物憂げで、自分の気持ちもどこかここに有らずという、そういう季節になる。移動に移動を重ね、今自分が何処にいるのかわからなくなり、ブラウザ上から東京を中心に自分の居場所を確認する時、帰る場所が東京だという事に少し違和感を覚えなくもない。

車の中で、流れてきた音楽を聞き、初めてこの曲を聴いた時はいつだったかと考えた時、もう随分前だという事に気が付く。しかし、音楽プレーヤーの中にはいつも変わらず、あの時の曲が記憶されている。

911が起きた日の事は憶えている。不謹慎にも興奮したあの日の出来事。母に呼ばれ、自室からリビングに行き、タモリのジャングルクッキングが映し出されているはずのテレビには、明るいアメリカの上空とビルからの煙が映し出されていた。あの日を境に何が変わったのか判らないが、宗教というものが気になり出し、それに対抗する術は何かと考え、理性だの哲学だのを、自ら学ぶ道として選んできた。何かそこから学ぶ事が出来たかといえば、正直判らない。それでも、何かのきっかけに911がなっていた事は事実である。少しその事実に驚き、あまり受け入れたくもないという気持ちもある。どうしようもないことなのだけど。