ニッポンの思想

 佐々木敦著『ニッポンの思想』を読んだ。
 著者である佐々木敦は私にとって文化系トークラジオLifeのサブパーソナリティでお馴染みの存在だ。佐々木敦の経歴を見ると映画や音楽、舞台、小説等の批評や自ら雑誌を発行したり私塾を開いていたりと活動の幅広さに驚いてしまう。そんな佐々木敦の一端に触れるべくこの本を読むことにした。
 そしてこの本で扱われている内容が80年代、90年代、00年代の思想だということもこの本を読むことになったきっかけだ。私は00年代から東浩紀宇野常寛の哲学や批評に触れるようになったが、日本のそれまでの思想や批評については全くの無知といっても良い。東浩紀宇野常寛の哲学や批評が何をきっかけに、誰の批判として生まれたのかを知りたいという気持ちがあった。つまり日本の思想史を知りたいという欲求があった。
 漠然とニューアカ浅田彰等の用語から新しい思想?が生まれて、その流れから今の哲学や批評、つまり思想が行われているらしい事には分かっていたのだが、今に至るまで流れを知ることが出来なかった。
 この本を読むと、80年代を浅田彰中沢新一蓮實重彦柄谷行人、90年代を福田和也大塚英志宮台真司、00年代を東浩紀の解説が行われている。解説といっても、思想市場というマーケットで、シーソーの原理にも見える思想の変遷の上で、その思想のパフォーマンスとして、思想のパフォーマンスを行うプレーヤーについてである。
 佐々木敦は文化系トークラジオLifeにおいて「『ニッポンの思想』をめぐって」と題してパーソナリティたちとこの本について語っている。どうやらこの本に書かれていない事、疑問点もある程度おり込み済みのようだ。例えば00年代のプレーヤーは茂木健一郎ではないのか?といったことも。
 
 私は結局この本を教科書として80年代から現在に至るまでのニッポンの思想について知ることしか出来なかった。中沢新一の出自についても全く知らなかった。福田和也についてはほとんど知らなかった。蓮實重彦の映画批評以外の文章もどのようなものか知らなかった。柄谷行人の仕事の行方について全く知らないし。おそらく今後読む可能性が少ない文章について少しでも触れられたのは貴重な経験だった。やはり何も知らないということに愕然とするしかない。私にははっきり言ってこれらの本を今後読む可能性が非常に少ない。いや、もちろん読みたいのだけど。
 私は00年代における思想のプレーヤー達が、例えば過去の思想の背景、また違った視点からの背景についてどれだけの蓄積があり、その蓄積が発揮出来る場所を自ら設定して実行するのかという点に興味がある。とりあえず今は2010年代、佐々木敦が本書でいうところのテン年代に入った。これからのニッポンの思想には、とりあえず興味を持つようにして行きたい。



ニッポンの思想 (講談社現代新書)

ニッポンの思想 (講談社現代新書)