彼女の名はサビーヌ

 『彼女の名はサビーヌ』を観た。

 とある事情で見る機会を得た。
 ドキュメンタリー映画。監督はフランスの女優らしい。
 この監督の妹は自閉症であった。しかし生活そのものに支障はさほどなかった。しかし、三年間の入院が彼女を変えてしまう、あからさまな病状悪化という形で。この映画は入院以前と入院以後の妹の映像を交互に繰り返しながら、観ている者に否が応でも、妹の変化とを知ることになる。
 
 施設で過ごす妹をカメラ越しから撮り続ける監督。姉に何度も明日もきてくれるか訊ねる妹に、何度も「来る」と答える監督。カメラは妹を中心に据える一方でその背後に施設で過ごす自閉症患者、その親たち、施設職員をも映し続ける。
 そのなかで妹が気に食わないことがあると、仲間や施設職員に暴力を振るうシーンは、私を驚かした。どうやら私は自閉症を患う人を勝手に無垢な、暴力を知らない存在だと思っていたようだ。フィクションなど知る自閉症のイメージが覆っていった。
 しかし、一方で「自閉症」をどこまで知っているのか、という問題がここに出てくる。精神を病む病気だと思っている人もいるのではないか。私は初めてこの言葉を聞いた時、そう思った。しかしそれは違う。私には以前に自閉症について知る機会が何度かあった。まず自閉症の子と、わずかながら、コミュニケーションを持ったこと。また現象学的観点からの自閉症治療の方法についての本を読んだことがある。もちろん上述したシーンに驚いているくらいだからその現実を知らないということは明白なのだが。
 ここで一応私と自閉症の子とのコミュニケーションについて記述しておく。その子は近所に住んでいた。私は大学に通うため、駅まで自転車で通学していたのだが、その途中に養護学校行きのバスの停留所になっているところがあった。そこでその子をいつも見つけた。ある時、その子は自転車で通り過ぎる私に手を振った。私は突然のことに驚いたが、それに対して慌てて手を振った。ただそれだけである。近所に住んでいる子だったから以前から自宅近くで出会うこともあったが、私をどれだけ認識していたかはわからない。どういう理由であの子が私に手を振ったのかもわからない。ただ、私は少しうれしい気持ちになったことは間違いない。これが果たしてコミュニケーションといえるかどうかもわからないが、そういうことがあったのだ。
 この映画が社会に対する自閉症患者についての問題提起であることは間違いない。ただしフランスと日本において自閉症について処置の仕方は違いがあるようなので、そこは区別しなければならない。ただ、こういった問題についての情報が当事者でさえ手に入れることが難しいという現状はフランスも日本も同じなのだ。

 
 この映画は東京渋谷区にあるUPLINKという映画館の、とあるイベント?で観た。この映画館はレストランや様々なイベントや、ワークショップを行っていたりする。またWeb上では「webDICE」という公開型のSNSを行っている。映画好きもそうでない方もぜひ映画館なり「webDICE」にアクセスしてみてはと思う。

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