精神

 『精神』を観た。
 想田和弘監督作品。彼の名前は憶えていなかったが、『選挙』というドキュメンタリー映画が話題になったのは知っている。結局『選挙』は観に行けなかったが、こちらの劇場で再公開されるらしい。
 想田和弘監督は自身のドキュメンタリー映画を「観察映画」という。事前取材をせず、台本も書かないで監督自身が現場を撮りながら学び、かつ撮ったものを観客が独自で解釈するしかない状態におく意図がそこにあるらしい。
 映画は、外来の精神科診療所「こらーる岡山」に通う患者、スタッフをカメラで追う。そこでは病気を患うことになった経緯や今後の生活に対する不安、希望が語られる。
 すさまじい経歴を語る人を観て、私はそれが病気を原因とする妄想なのではないかと疑ってしまった。しかしそれが妄想だとしても、その人にとってはそれが現実なのだろう。
 病気の待合室でただ煙草を吸う人、自身の詩を他の仲間に読んでもらう人、そんな光景を観ながら私は彼らと自分の違いを考えた。しかし考えたところでそこに違いはない気がする。考えてみえば当たり前のことで、生まれてきて以来精神を患っている人はいないのだ。それは障害ではないのだから*1。だとすれば私だって精神を患うことがあるのだ。映画の中でもある患者が、そこに違いなどあってないようなものだという。
 そんな当たり前の事を実感する。
 

*1:知的障害が精神を患っているという意味ではない。