時計じかけのオレンジ

アントニイ=バージェス著『時計じかけのオレンジ』を読んだ。

早川書房より完全版が発売、ということを知り購入する。とはいっても『時計じかけのオレンジ』を読んだことはこれまで一度もなく、ご他聞になくスタンリー=キューブリックが映像化したものしか私は知らなかった。その映像化を観た私の感想は、「人間の本質には暴力が含まれており、それを失えば人として機能が出来なくなる」というものだった。
 
読んでみると解説にあるとおり、キューブリックが映像化したものはほぼ忠実に原作を脚色しているようだった。映像でみたクラシック音楽、インテリア、若者言葉、暴力は原作にも確実に見出される。違いといえば原作での主人公の年齢が十五歳であることなどであろうか。そしてもちろん、映画では省略された第三部第七章によって原作と映画の結末は全く違ったものになっている。この結末の違う理由は解説に詳しい。

暴力を容赦なく振るうアレックスは殺人によって刑務所に入る。服役中にさらに殺人を起こし、反社会的行為に対する新治療がアレックスに行われることになる。この治療名はルドビコ療法といい、暴力的な思考・行動に対して身体の苦痛でもって拒否させるというものだった。この治療法によって「治った」アレックスは刑務所から開放され街へ戻る。しかし暴力に対して無力になったアレックスはかつての仲間、自らの暴力による被害者から報復を受けることになる。そして自殺を試みたアレックスは政府と反政府の政治闘争に利用されるなかルドビコ療法から開放される。ここまでは映画でも描かれる。しかし、第三部第七章においてアレックスは変化の兆しをみせる。自らのポケットに赤ん坊の写真をいれ、かつて共に暴力を働いていた仲間が家庭を持ち穏やかに暮らしていることを知る。そして自分が家庭を持つことを想像し、それも悪くないと考え始める。例え自分のように暴力を、わが子が働いたとしてもそれを止めることは出来ない、とさえ考えながら。アレックスは家庭を持つことを決意して物語は終わる。

この物語は自由意志についての物語であるらしい。確かにルドビコ療法のくだりは全くその通りである。そしてもう一つこの物語が述べていることは、私が映画を観て持った感想「暴力は人間の本質の一部」ではなく、人間の暴力は繰り返されるが、克服ないし減退していくものだということ、である。映画においてはアレックスその人によって暴力が反復されることを示唆して終わるが、原作はアレックスの未来の子どもによる暴力が示唆される。この暴力に対する見解の相違―つまり暴力を特別視しない原作には救いが見出せないわけではない。
 

時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1)

時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1)

この本は柑橘類の匂いがする、ような気がする。