新潮五月号 文藝夏季号

図書館で時間をつぶす。
「新潮」で東浩紀が『ファントム、クォンタム―序章―』を書いていたので読む。ちなみに私は東浩紀と桜坂洋の合作『キャラクターズ』を読んでいない。
主人公は東浩紀を想起させる設定、主人公が引用する村上春樹の小説。その小説に書かれていることは間違いなく現実に地続きである。しかし、その小説には現実にいる東浩紀の娘の姿は見当たらない。これは現実の東浩紀を知るがゆえに生まれる小説に対する現実との比較である(とはいえ私はあまり東浩紀の家族について、とりわけ東浩紀の奥様のことをよく知らない。その小説に登場する東浩紀の奥さんについての記述も読む人が読めば、現実とのズレを指摘することが出来るのだろうか)。

この現実との比較は、加藤典洋の『テキストから遠く離れて』で紹介される「テキスト論破り」の小説、大江健三郎が自らの小説に説得力を持たせるために使うという、作者と物語を結びつける方法とほとんど同じである。しかしながら東浩紀の狙いは手法こそ大江健三郎と同じであるが、狙いは全く逆であるのではないか。つまり、現実を知るがゆえに現実と物語の比較によって私が構成してしまう『ファントム、クォンタム』という小説の不確かさというのだろうか。うまくいえないが。どんな読み方でもツッコミが入っちゃう小説になってしまうということ…。まぁ少なくとも東浩紀は読み手を霍乱させる気があるんだろうなぁと。そんな小説でした。ちなみに目次にはディストピア小説だの、現代のガリバー旅行記と煽ってあった。

「文藝」では作家のデビュー年表をパラパラとめくって読みました。結構新鮮な年表でありました。