ソラリス

『ソラリス』を観る。加藤典弘が「生の一回性」について述べる際に『惑星ソラリス』について述べていたので、観ることにした。ただ、今回テレビで放映されていたのはリメイク版であった。主人公がジョージ=クルーニー、監督が『オーシャンズ11』を撮っている人であった(未鑑賞)。
加藤典弘は、この映画に起こる死の反復、よって生の一回性の意味が浮きあがると語っている。
私は、主人公たちが悲しい記憶を反復する様子を観ながら、無限循環する世界について考えていた。無限循環する世界において、人生も一つの運動に過ぎない。なぜなら繰り返される人生ならば、次の人生を待てばいいからである。これで養われるのはニヒリズムであろう。ニーチェを引用するのは嫌なのだが、「永劫回帰」はここから生まれたのではないか。ただしニーチェは「永劫回帰」する世界を認め、さぁもう一度(人生を)と唱えられる「超人思想」に発展するわけだが。もはや意味が風化した世界にもう一度挑むという、(意味が風化させないからこそ超人なのかもしれないが)態度を、私は嫌いではないが、すぐ飽きるタイプで実際には相容れない。ひどく体育会系の匂いがする。とはいえニーチェの「永劫回帰」の考えには古代ギリシア神話の歴史循環論がもとになっている。この歴史循環論に対するのが歴史不可逆論つまり終末思想である。ニーチェは終末思想を根底にした「生の一回性」という現実ゆえに慎重になる人々対して、循環論を唱えたのであろうか。
とりあえず話をまとめると歴史循環論、不可逆論であろうが、「生の一回性」は意味を失う可能性がある*1。これに対してどういう考えを持つかが肝心であるが、私としては、そういう以前にこの生活があり、それをこなす上で、循環論も、不可逆論(この場合、死)も意識できない。要するに棚上げ状態である。

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*1:ここで歴史不可逆論は消極的ではあるが、常に一回性をもっているのではないか、という意見はもちろん認める。しかしここでは消極的であった生は歴史循環論が陥ったニヒリズムと変わらない可能性が高いと答えておく。