奥泉光の諸作品を読む

奥泉光の諸作品を読んだ。
読んだ作品の一覧は以下の通りとなる。

バナールな現象 (集英社文庫)

バナールな現象 (集英社文庫)

モーダルな事象 (本格ミステリ・マスターズ)

モーダルな事象 (本格ミステリ・マスターズ)

桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活 (文春文庫)

桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活 (文春文庫)

黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2 (文春文庫)

黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2 (文春文庫)

鳥類学者のファンタジア (集英社文庫)

鳥類学者のファンタジア (集英社文庫)

新・地底旅行

新・地底旅行

『吾輩は猫である』殺人事件 (河出文庫)

『吾輩は猫である』殺人事件 (河出文庫)

神器〈上〉―軍艦「橿原」殺人事件 (新潮文庫)

神器〈上〉―軍艦「橿原」殺人事件 (新潮文庫)

神器〈下〉―軍艦「橿原」殺人事件 (新潮文庫)

神器〈下〉―軍艦「橿原」殺人事件 (新潮文庫)

虫樹音楽集

虫樹音楽集

シューマンの指 (100周年書き下ろし)

シューマンの指 (100周年書き下ろし)

ビビビ・ビ・バップ (講談社文庫)

ビビビ・ビ・バップ (講談社文庫)

奥泉光の作品を知ったのは中学生の頃になるのだろうか?新聞の週末の書評欄に「鳥類学者のファンタジア」がジャズに関する小説として取り上げられていた。題名に謳われるようにファンタジーなのだろう等と考え、それから数ヶ月か数年の後、図書館でハードカバーを手に取ったことまでは覚えているが、結局読むには至らなかったのだと思う。当然ながら、当時(今もだが)鳥類学者がアルト・サックス奏者のチャーリー=パーカーを指すことも知らなかった。

その後、奥泉光がフルートを吹くことを知る。また、「対テロ戦争株式会社―「不安の政治」から営利をむさぼる企業」「戦争サービス業―民間軍事会社が民主主義を蝕む」等の書評を読み、現代の戦争に関することを小説の題材にしているのかと思ったこともある。

それから十数年経過して、私は最近のジャズを自ら聴くようになった。そして奥泉光がジャズを題材にした「ビビビ・ビ・バップ」を発表することを知った。ちょうど無職だったこともあり、これを機に一気読みをするかと立ち上がったのが3年前の話だ。

「バナールな現象」と「モーダルな事象」は今となっては印象が薄い。しかしながら「モーダルな事象」に登場した桑幸とその生徒の活躍が描かれる「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」シリーズにはすっかりハマってしまった。

「鳥類学者のファンタジア」、おそらく新聞紙上の連載を読んでいた「新・地底旅行」「『吾輩は猫である』殺人事件」を読み、それぞれの作品に同じ設定が仕込まれていることを知るに至る。

「神器」は前回の記事で触れたメガノベル。平野啓一郎の「決壊」と共に新潮で連載されていた。

「虫樹音楽集」は短編集でジャズに関する物語があったことを覚えている。

「東京自叙伝」は「そんなつもりは無かったのです」「仕方無かったのです」とあらゆる出来事が締めくくられるグロテスクな作品。無責任で反省の無い人々の精神性が明らかにされているように思う。

「シューマンの指」はベートーヴェンのピアノソナタが話題に挙がっていたように思う。

「ビビビ・ビバップ」は「鳥類学者のファンタジア」の設定を継承した作品となっている。近未来SF的な話で割と何でもありのかなり面白い小説である。

われらが歌う時

リチャード=パワーズ著、高吉一郎訳「われらが歌う時」を読んだ。

はっきりと憶えていないのだが、2000年代後半に多くのメガノベルが発表されたと記憶している。私のメモには以下の作品が挙げられていた。

  • 平野啓一郎「決壊」
  • 鹿島田真希「ゼロの王国」
  • 古川日出男「聖家族」
  • 町田康「宿屋巡り」
  • 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日」
  • 桜庭一樹「ファミリーポートレート」
  • リチャード=パワーズ「われらが歌う時」

2000年代後半、私は大学を卒業し、会社員にはなったものの、すぐに会社を辞めて…というような経過を辿っていた。そして10年の月日を経た今、その時の心情を思い出すことも難しくなっている。

上記の作品でリアルタイムに読んだ作品は平野啓一郎「決壊」のみとなる。その後、暇があれば読もうと考えていたものの、数年が経過していたという訳である。たまたま仕事を辞めた3年前、暇にかこつけて唯一読み終えたのが「われたが歌う時」だった。
Amazonの内容紹介は以下の通り。

1961年、兄の歌声は時をさえ止めた―。亡命ユダヤ人物理学者のデイヴィッドと黒人音楽学生のディーリアは歴史的コンサートで出会い、恋に落ちた。生まれた三人の子供たち。天界の声を持つ兄ジョナ、兄の軌跡を追うピアニストの「私」、そして、空恐ろしいまでに天賦の音楽の才能を持つ末妹ルース。だが、音楽で結ばれ、あまりに美しい小宇宙を築き上げた家族は、ある悲劇を機に崩壊することになる…。妙なる音楽の調べとともに語られてゆく、30年代を起点とした過去と50年代を起点とする二つの過去。なぜ二人は恋に落ちたのか。子供たちは何を選ぶのか。通奏低音のように流れる人種問題、時間の秘密。あの日に向けて、物語は加速してゆく。巨大な知性と筆力により絶賛を浴びてきたパワーズの新境地、抜群のリーダビリティと交響曲にも似た典雅さ。聖なる家族のサーガが、いま開幕する。全米批評家協会賞最終候補作。プシュカート賞/ドス・パソス賞/W・H・スミス賞ほか受賞。

上記の通り、アメリカの歴史とある家族の歴史が描かれている。もちろん、3年前に読んだということもあり、詳細は忘れている。しかし、リチャード=パワーズの作品を読むのは初めてのことだったにも関わらず、非常に面白かったことははっきりと憶えている。

われらが歌う時 上

われらが歌う時 上

われらが歌う時 下

われらが歌う時 下

虚構の男

L=P=デイヴィス著、矢口誠訳「虚構の男」を読んだ。

本書は知られざる傑作、とびきり変な小説を英米文学者で翻訳家の若島正と英米文学者で作家の横山茂雄が五冊ずつ選書して十冊刊行する国書刊行会「ドーキー・アーカイヴ」の一冊である。今、改めて本書の付録となっている両名のドーキー・アーカイブ刊行記念対談を読み直した結果、同アーカイブが作品を読みたくなってきたところである。

上述の対談によれば、L=P=デイヴィスはSF、ミステリー、ホラーといったジャンルに分類することが難しいエンターテイメント作品を発表する作家とのことである。なお、若島正の本書の解説によれば、L=P=デイヴィス自身は1960年代に流行したサイコ・フィクションブームに合わせて、謎解きも可能なフェアなパズル小説を書いていたという認識を示しているそうである。

本書のあらすじは以下のようなものである。

時は1966年、イングランドの閑静な小村で小説家アラン=フレイザーが50年後(2016年!)を舞台にしたSF小説の執筆にいそしんでいるところから物語は始まる。気さくな隣人、人懐っこい村の人々はみな彼の友だちだ。やがて一人の謎の女と出会い、アランの人生は次第に混沌と謎の渦巻く虚構の世界に入り込んでいく――国際サスペンスノベルか、SFか? 知る人ぞ知る英国ミステリ作家L=P=デイヴィスが放つ、どんでん返しに次ぐどんでん返しのエンターテインメントにして、すれっからしの読者をも驚かせる正真正銘の問題作!(1965年作)

本書を読んだのは2016年8月頃で、上述のあらすじの通り話が二転三転することもあり、内容を細部に渡って憶えていない。最初は退屈な話が続くのだが、知らぬ間に話が大きく膨らむ展開に対して不安になった記憶は残っている。一方、上述の通り、著者はフェアに徹しているため、結末に至るまでの展開に破綻は無かったとも記憶している。先程、結末だけ改めて読んだが、上述のあらすじから結末に至るまでの展開を思い出せない、類まれな作品であった。

本書を邦訳している矢口誠の紹介文が非常に面白いので御一読頂きたい。
honyakumystery.jp

上述した若島正と横山茂雄のドーキー・アーカイブ刊行記念対談のPDF
https://www.kokusho.co.jp/catalog/9784336060570.pdf

虚構の男 (ドーキー・アーカイヴ)

虚構の男 (ドーキー・アーカイヴ)

泰平ヨンの航星日記

スタニスワフ=レム著、深見弾・大野典宏訳「泰平ヨンの航星日記」を読んだ。
2016年8月半ばに読んだ作品となる。
さて、困ったことがある。それは私が本書の内容を全く以て忘れてしまったことである。しかも本書は泰平ヨンを主人公として連作集となるため、文庫本の背表紙のあらすじが何かを思い出すきっかけにもならない。

私が憶えているのは本書を購入した時の事である。友人とコーヒーの試飲会に参加後、青山の本屋で購入したはずである。友人は山梨県の小さなワイン醸造所で働いており、上京した際に私を遊びに誘うのだ。おそらく本屋で手持ち無沙汰だった私は何となく適当に書店内を見て回りながら近場の本屋に無かった本書を見つけて購入したのだと思う。
何故、私が本書の内容を忘れるに至ったのか、その原因は人間の構造に問題があると思料される。それは記憶の問題である。記憶は有限、というか忘れるようになっている。しかしながら思い出せないことと記憶が有限であることは同じでは無い。ふとしたことがきっかけで過去の記憶が脳裡を過る経験をしたことは何度もある。最近夢に昔好きだった女性が現れて一緒に肩を組んで歩いた。女性は何故か私に小学校の給食センターの拡充や業務の効率化を語り掛けて来た。私は困った。非常に困惑した。彼女が給食センターを話題にする理由が判らなかった。そして目が覚めた。私は女性との再開を喜んだ後に悟った。この広い地球で彼女とは夢の中でしか会えないということに…つまり、私は本書を憶えている可能性があるものの、思い出す術を知らないだけなのだ。

こうやって本書の内容を思い出せないと記述しているが、この内容こそ記憶が無意識に作用し、本書の凡その内容を示している可能性が万に一つあるかもしれない。更に言えば先程コンビニで千円以上の買い物をした結果、くじ引きを引くことになり無料で手に入れたジムビームを飲んでいるため、この文章はアルコールの推進力を伴い、霊感がエウレカしている可能性も否定出来ない。最近ビールの飲み過ぎで大抵のものを吐いただけにアルコールは飲まないようにしていたのだが、天は私にアルコールを飲めと勧めるばかり、その後の救済は用意していない…ちなみにまだ酔っていない(酔った奴に限って酔っていないというものである)。

さて、私がレムの作品を読むようになったのは「惑星ソラリス」の鑑賞後に原作「ソラリス」を読んだという良くある話である。レムはハードコアな作品の他にユーモアやハチャメチャなSF的仕掛けを用意した娯楽的な作品を書いている。その筆頭が泰平ヨンシリーズとなる。しかも同シリーズはレムにより改訂も多くなされているという。ちなみに泰平ヨンが登場する作品が全て邦訳されているかは以前調べたことがあるものの、やはり忘れてしまった。こんなブログを読んでいる暇があったら本書を読むべきだが、何故か世の中は本題にたどり着くまでに多くの障壁が用意されているものである。しかしながら果たして障壁とは?お金?時間?そもそも読むべき本とは?

銀河英雄伝説

田中芳樹著「銀河英雄伝説」を読んだ。
2016年7月~同年の8月に掛けて同作品を読んだ。きっかけはヤングジャンプで連載中の藤崎竜の漫画がきっかけになる。ちなみに新作のアニメは未見である。
自由惑星同盟と帝国、そして背後で暗躍する商業惑星国家の趨勢が描かれる訳だが、民主主義を標榜する自由惑星同盟の政治の状況には皆思うところがあるのではないかと思う。
とりあえず手に取れば充足した時間を手に入れることが出来るだろう。私は半月の間、本書の世界観にどっぷりとハマり込んで幸せな時間を過ごすことが出来た。

銀河英雄伝説1 黎明篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説1 黎明篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説2 野望篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説2 野望篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説3 雌伏篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説3 雌伏篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説4 策謀篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説4 策謀篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説5 風雲篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説5 風雲篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説6 飛翔篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説6 飛翔篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説7 怒濤篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説7 怒濤篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説8 乱離篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説8 乱離篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説9 回天篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説9 回天篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説10 落日篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説10 落日篇 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説外伝1 星を砕く者 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説外伝1 星を砕く者 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説外伝2 ユリアンのイゼルローン日記 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説外伝2 ユリアンのイゼルローン日記 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説外伝3 千億の星、千億の光 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説外伝3 千億の星、千億の光 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説外伝4 螺旋迷宮 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説外伝4 螺旋迷宮 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説外伝5 短篇集 (らいとすたっふ文庫)

銀河英雄伝説外伝5 短篇集 (らいとすたっふ文庫)

『ゲンロン2 慰霊の空間』

東浩紀編『ゲンロン2 慰霊の空間』を読んだ。
読んだのが一年以上前になり、印象しか触れる気は無いのだが、面白かったのは哲学者カンタン=メイヤスーの著書『有限性の後で』に関する千葉雅也と東浩紀の対談「神は偶然にやってくる―思弁的実在論の展開について」だった。
しかしながら『有限性の後で』を読んでいない体たらくぶり。
次巻『ゲンロン3 脱戦後日本美術』を手に取り9/10は読み終えたのだが、如何せん読み終えることができないまま、ゲンロンの新刊に手を出せないでいる。
この辺りから哲学・思想・評論的な著作はほとんど読まなくなってしまったかもしれない。

ゲンロン2 慰霊の空間

ゲンロン2 慰霊の空間

  • 作者: 東浩紀,筒井康隆,中沢新一,津田大介,五十嵐太郎,市川真人,大澤聡,福嶋亮大,千葉雅也,海猫沢めろん
  • 出版社/メーカー: 株式会社ゲンロン
  • 発売日: 2016/04/27
  • メディア: Kindle版
  • この商品を含むブログを見る
ゲンロン2 慰霊の空間

ゲンロン2 慰霊の空間

  • 作者: 東浩紀,筒井康隆,中沢新一,カオス*ラウンジ,新津保建秀,津田大介,藤村龍至,渡邉英徳,黒瀬陽平,五十嵐太郎,ボリス・グロイス,市川真人,大澤聡,福嶋亮大,さやわか,千葉雅也,クレイグ・オーウェンス,速水健朗,井出明,海猫沢めろん
  • 出版社/メーカー: 株式会社ゲンロン
  • 発売日: 2016/04/07
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログ (8件) を見る

マチネの終わりに

平野啓一郎著『マチネの終わりに』を読んだ。

天才クラシックギタリストの男性と通信社で働く女性の恋愛を描いた作品。舞台は東京、バグダット、パリ、ニューヨーク。40代の苦悩や世界情勢や思想を絡めながら物語は進む。

当時は毎日新聞で掲載された後、noteに転載されるという仕組みになっていた。若手のアーティストとの競演が実施され展覧会もあった。当時は本書にどっぷり浸っており、当初はnoteで読んでいたものの、連載を先に読み進めたい余りに毎日新聞のアカウントを作成した始末。また、仕事終わりに展覧会にも足を運んだ。既に熱は冷めたが本書をきっかけにしてクラシックギターを聴く機会を得た。現在、平野啓一郎の作品を人に勧めるなら、本書を選ぶことは間違い無い。

何故に本書にそれ程引き込まれたのか考えるものの、明瞭な理屈は思い浮かばない。敢えて言えば、誰かに想いを寄せるようになった時の稚気めいた想い等を笑い飛ばすことも無く、登場人物の機微として描いているためだろうか。また分人主義をベースにした人間の狡猾さ、頑迷さを描き、悪人とも言うべき登場人物がいないためだろうか?

主人公がスランプに思い悩む重苦しさから、逃れ出て行く様が気持ち良い。また、差し迫ったソロ演奏の舞台を前にして主人公が亡くなった親友のギタリストと邂逅するシーンは、誰かの未来を幾分か支え得る生の重みを思いださせてくれる。

本書に登場するギター曲に興味が生じた場合、本書とタイアップした下記のCDを聴くのが良いと思う。

マチネの終わりに

マチネの終わりに

マチネの終わりに

マチネの終わりに

マチネの終わりに

マチネの終わりに

『デューン 砂の惑星』

フランク=ハーバート著、酒井昭伸訳『デューン 砂の惑星』を読んだ。

当時、ドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」の公開前後で、本作の映画化が構想されたものの断念した云々といった話をTwitterで良く見掛けたことや新装版の発売が本作を手に取るきっかけだったと思う。

封建体制が敷かれた宇宙でメランジなる特殊能力の源となる香料の原産地である惑星アラキスで繰り広げられる権謀術数と冒険活劇といった内容で、有名なサンドワームの元祖は本書になるようだ。

中世的な世界観に古臭さを感じなくも無かったが、緻密な設定が後々になって解消されていくようになっており、のめり込むようにして読んだ。

デューン 砂の惑星〔新訳版〕 (上) (ハヤカワ文庫SF)

デューン 砂の惑星〔新訳版〕 (上) (ハヤカワ文庫SF)

デューン 砂の惑星〔新訳版〕 (中) (ハヤカワ文庫SF)

デューン 砂の惑星〔新訳版〕 (中) (ハヤカワ文庫SF)

デューン 砂の惑星〔新訳版〕 (下) (ハヤカワ文庫SF)

デューン 砂の惑星〔新訳版〕 (下) (ハヤカワ文庫SF)

『ゲンロン1 現代日本の批評』

東浩紀編『ゲンロン1 現代日本の批評』を読んだ。
もう読んだのがかれこれ一年以上前になる。
そんな中でも印象に残っているのは亀山郁夫・東浩紀・上田洋子の「ドストエフスキーとテロの文学」になり、亀山郁夫が「新カラマーゾフの兄弟」を書き上げていることを知った。
その他に速水健朗「独立国家論」、コラム連載の辻田真佐憲「軍歌は世界をどう変えたか」、西田亮介「日常の政治と非日常の政治」が面白かった。特に西田亮介の連載は何度も読んだ記憶がある。
一応全てのページを読んでいるが、話題になった「現代日本の批評」は読むのが精一杯だったというのが正直なところ。

ゲンロン1 現代日本の批評

ゲンロン1 現代日本の批評

  • 作者: 東浩紀,鈴木忠志,大澤聡,市川真人,福嶋亮大,佐々木敦,安藤礼二,黒瀬陽平,速水健朗,井出明
  • 出版社/メーカー: 株式会社ゲンロン
  • 発売日: 2015/12/23
  • メディア: Kindle版
  • この商品を含むブログ (3件) を見る
ゲンロン1 現代日本の批評

ゲンロン1 現代日本の批評

  • 作者: 東浩紀,鈴木忠志,大澤聡,市川真人,福嶋亮大,佐々木敦,安藤礼二,黒瀬陽平,速水健朗,井出明,亀山郁夫,上田洋子,ボリス・グロイス,クレイグ・オーウェンス,海猫沢めろん
  • 出版社/メーカー: 株式会社ゲンロン
  • 発売日: 2015/12/04
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログ (4件) を見る

幽霊殺人

アルカジー&ボリス=ストルガツキー著、深見弾訳『幽霊殺人』を読んだ。

雪山の山荘を訪れた警察官が事件に巻き込まれ、その真相を突き止めるという内容である。
つまりミステリーであるが、そこはストルガツキー兄弟の作品であり、真相に関わる部分はSFの設定である。
しかし真相がSFであるだけに、主人公の警察官は受け入れる事が出来ない。事件は宇宙人の仕業だと警察官は信じる訳にいかない。しかし実際のところ、警察官は主観的には理解しているのだ。しかし客観的に認める訳にいかない。その立場の苦しさが非常に伝わってくる。それ故、警察官の頑迷さに付き合わされる事になる。この葛藤が本書の面白さである。一方、本書に登場するSF設定に物分かりの良い物理学者は世に理解される事は無かった。警察官の頑迷さを物理学者は許さず、これを悔やみ続けている主人公の在り方に、ストルガツキー兄弟の現実的な繊細さを感じる。

本書を以てストルガツキー兄弟のラドガ壊滅やらアンソロジーに収められた作品を除けば大体邦訳をされたものは読み終えた形になる。ストルガツキー兄弟の作品を読もうとした場合、古本屋や図書館を利用して読む形になるだろう。とりあえず図書館を利用し、更に興味を持ったら古本屋で購入すれば良いと思う。私自身は図書館を利用したのは本書と「滅びの都」のみであり、その理由は貸出期間によって読む時間を区切られる事を嫌った為である。古本屋を利用しているうちに収集欲が掻き立てられたという事もあったのだが…。

滅びの都

アルカジー&ボリス=ストルガツキー著、佐藤祥子訳『滅びの都』を読んだ。

「都市」がある。この「都市」は「実験」を目的としている。「「実験」のための「実験」」だと本書では語られる。都市にはロシア人・ドイツ人・ユダヤ人・中国人・日本人と人種や国籍は関係無く人々が集められている。また彼らは第二次世界大戦直後の時代を生きた人々らしい。彼らが折り入って語るのは戦争の記憶である。仕事は一定期間勤めると、機械によって定められた新たな仕事を勤める決まりになっている。主人公のロシア人は、ごみ収集員、捜査官、編集者、クーデターを経てドイツ人の元ナチス党員が統治する権力機構の補佐官となり、その後はアンチ都市を調べる為、世界の果てへ調査隊を伴って向かう。本書はロシア人の仕事毎に章立てされ、物語が進んでいく。 

「都市」の人々はどのように集められたのかはっきりとは判らない。主人公は自分にしか見えない教導師なる人物によって都市にやって来たらしい。

印象に残るのは「都市」の日本人が悲哀を以て語リ出す「沖縄で日本兵が少女を強姦している事が告発されると、少女とその母親は次の日には姿を消してしまったのだ…」というエピソードである。著者のアルカジーは日本語に精通した日本文学研究者であり、軍に所属していた際は極東軍事裁判に関わったという経歴を持つ。そういった背景を鑑みた時、フィクションでありながら、戦争という状況に於いて類似するような出来事は想像に難くなく、また日本人であるが故に生々しい印象を抱く。

クーデターを経て補佐官となった主人公は博識で変人のユダヤ人を連れて世界の果てへ向かうが、調査隊は過酷な環境に仲間割れを起こし離散してしまう。主人公はユダヤ人と共に巨大な足が闊歩する廃墟や遺跡を越え、世界の果てらしきものに辿り着く。ここで描写される世界の果てはアレクサンドル=ソクーロフが「ファウスト」で描いた真理の場所そのもののように読み取れる。しかし著者はどうやら世界の果てに辿り着いたとしても終わりの場所では無い事を示唆しているらしい。

本書はストルガツキー兄弟の「モスクワ妄想倶楽部」で青ファイルと呼ばれた原稿である。「モスクワ妄想倶楽部」の翻訳者である中沢敦夫によれば、本書は1970年代に執筆され完成していたという。捜査官となった主人公が赤い館でソ連指導者とチェスを指すというあからさまな描写や*1、ソ連という体制を、そしてそれに似通ってしまう体制そのものを、「都市」になぞらえシニカルに描いているのは明らかで、発表を躊躇するのは理解出来る。

翻訳者の佐藤祥子による本書の解説は非常に丁寧で理解が捗ると思う。古本を手に入れるか迷った末、図書館を利用して読む事になり、現状内容の多くを忘れてしまっているものの、ストルガツキー作品の中では託されたイメージが多い為に強い印象を残している。 

滅びの都 (群像社ライブラリー)

滅びの都 (群像社ライブラリー)

 

 

*1:脚注をよまなければ判らない程度に浅学ではある。尚、脚注には人名も書いてありスターリンだったと思うのだが、はっきり憶えていない。

『天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと PART1』

小川一水著『天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと PART1』を読んだ。

『天冥の標Ⅷ ジャイアント・アーク PART2』の続刊。遂にⅨ巻まで来た。
既に本書の続刊である『天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと PART2』が刊行されているが、以下から本書の内容に触れる事を予めお伝えさせて頂く。

続きを読む

巨匠とマルガリータ

ミハイル=A=ブルガーコフ著、水野忠夫訳『巨匠とマルガリータ』を読んだ。

ある春のとても暑い日、モスクワの公園で作家兼文芸雑誌の編集長と詩人がキリストの実在性について語っている。詩人は編集長に依頼されたキリストの存在を否定した詩を完成させたものの、編集長はお気に召さなかったらしい。編集長は売店で買ったソーダを飲み、日射病まがいの幻影にさらされながら、博覧強記で以てキリストの存在を否定し、詩人はこれに頷くばかりである。そこに怪しげな外国人が現れる。外国人は二人の話に割り込み、神を信じずまた実在性を否定する二人に問い掛ける。「神が存在しないとすれば、世の中の秩序は誰が支配するのか。」詩人はこれに対し「人間が自ら支配する。」と応える。しかし外国人は更に続ける。「千年先の事や、今日夜起こる事さえ判らない人間に何が判るのか。」カントと共に朝食を取った事もあるという外国人は、二人の今後をあっさり予言してみせる。編集長は路面電車に轢かれ、詩人は精神分裂症になるのだという。そして男はキリストが存在していたとして、ポンティウス=ピラトゥスを主人公としたナザレの人ヨシュアことキリストの物語を語り始める。
外国人が語り終えると編集長は「その物語はキリストがいた事を証明していない。」と反駁する。しかし外国人は「私はその場に居たので証明する必要は無いのです。」と語る。編集長は外国人を狂人と判断し、公衆電話で外国人観光局に連絡しようとその場を離れる。しかし編集長は外国人の予言通り路面電車に轢かれ首をはねられてしまう。詩人は外国人を追い掛けるうちに往来で下着姿になり精神病院に運ばれてしまう。

本書では、外国人が語ったピラトゥスを主人公とした物語と、外国人の格好をした悪魔たちがモスクワで引き起こす騒動が交互に語られる。そして詩人が精神病院で出会った巨匠を名乗る作家こそピラトゥスを主人公とした物語の創作者であった事が判る。悪魔たちは巨匠の身を案じる愛人マルガリータと接触し巨匠を救い、二人は悪魔に導かれ天上に昇る。

悪魔が起こすバカ騒ぎに笑い、福音の章と呼ばれるポンティウス=ピラトゥスを主人公とした格調高い物語に引き込まれる。著者であるブルガーコフはソ連に於いて戯曲や小説を発表する機会を得られなかったという。ピラトゥスを主人公とした物語を描き、文壇から排斥された巨匠とブルガーコフが重なり合い、その恨みとでも言うべきものが池澤夏樹が解説にて「ファンタスティック」と表する悪魔が起こす騒動で発散されているようにも思える。
本書を手に取ったのは、ストルガツキー兄弟の「モスクワ妄想倶楽部」を読んだ為だが、更に遡れば通勤途中、電車の中で黒衣の美しい女性が群像社版の本書を読んでいるのを見掛けた事がきっかけだった。私は池澤夏樹個人編集の世界文学全集のハードカバーで読んだが、現在は同内容の翻訳を岩波文庫で読むことが出来るようだ。
世界文学などと言うと敷居が高いように思われるが、これを読まないのは余りに勿体無いと思う。

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)

巨匠とマルガリータ(上) (岩波文庫)

巨匠とマルガリータ(上) (岩波文庫)

巨匠とマルガリータ(下) (岩波文庫)

巨匠とマルガリータ(下) (岩波文庫)

巨匠とマルガリータ (上) (群像社ライブラリー (8))

巨匠とマルガリータ (上) (群像社ライブラリー (8))

巨匠とマルガリータ〈下〉第2の書 (群像社ライブラリー)

巨匠とマルガリータ〈下〉第2の書 (群像社ライブラリー)

ちょっと今から仕事やめてくる

北川恵海著『ちょっと今から仕事やめてくる』を読んだ。

たまたま先輩の社員から「読んでみる?」と渡されて読む機会を得た。常日頃仕事を辞めたいと思っていたからちょっと興味が惹かれる題名ではある。内容はタイトルの通りいわゆるブラック企業に勤める主人公が会社を辞める話だが、主人公の自殺を偶然止める事になった古い友人の正体を探る謎解きもあり、飽きずに読み進められた。
本書を読みながら、仕事に対する価値観やら生き方を他人に披瀝したり押し付けたりするつもりは自分には無いのだと実感した。

ちょっと今から仕事やめてくる (メディアワークス文庫)

ちょっと今から仕事やめてくる (メディアワークス文庫)

ちょっと今から仕事やめてくる<ちょっと今から仕事やめてくる> (メディアワークス文庫)

ちょっと今から仕事やめてくる<ちょっと今から仕事やめてくる> (メディアワークス文庫)

民主主義

文部省編『民主主義』を読んだ。
一年程前、社会学者である西田亮介の「社会に政治を理解し、判断するための総合的な「道具立て」を提供せよ―文部省『民主主義』を読んで」という記事にて本書を知った。上記の記事や下記にリンクした記事から18歳以上に選挙権年齢を引き下げる公職選挙法改正や憲法改正を視野に入れた用意として本書を紹介している事が判る。

GHQ(連合国軍総司令部)とこれを補佐する部局CIE(民間情報教育局)が作成を指示、法哲学者尾高朝雄が編纂・執筆、経済学者大河内一男など一流の執筆者が揃えられたという。

教科書という形態に対して読むか迷った末、電子書籍を購入しスマートフォンで通勤等の空き時間を使って半年程で読み終えた。おそらく書籍として購入していれば本書を読み終える事は出来なかっただろう。電子書籍というフォーマットの有り難さを感じた。
他方、スマートフォン片手に休日の行楽に向かう人々を視界の端に本書を読み進めていると、何か自分が滑稽に思えて来る。眼前に紡がれるのは民主主義を実現する為の不断の努力を求める情熱的な筆致だ。本書が求める有権者の在り方は、敗戦70年を経て民主主義を当然の事として享受している私にさえ普遍性を持って迫ってくる。そして本書が求める多くが欠けている事に気が付かされる。

本書を読んでいた頃、集団的自衛権の容認を含めた安保法案を巡り民主主義の危機だという言説を多く見掛けた。民主主義の危機を回避する為に歴史を学んでいたのでは無かったか、そもそも集団的自衛権を解釈の領域に於いて甘んじていたのが誤りだったのでは無いだろうか、そんな事を考え複雑な気分になった。

西田亮介は批評誌『ゲンロン』にて「日常の政治と非日常の政治」と題してコラムを連載している。おそらくこれも本書同様道具立ての一つなのだろう。「ゲンロン2」では2016年7月10日に控えた参議院選挙と憲法改正に関する「事実」を確認しており、改選121議席のうち改憲派が77議席当選した場合、非改選議席の改憲派と併せて参議院の三分の二を達成するという。参議院の議席三分の二の達成は、憲法改正の発議を可能にする。

今回の記事を作成するにあたって、西田亮介が本書に解説を加えて編集した抄録版が刊行されている事を知った。本書のエッセンスを知りたければ新書を手に取るのも良いかもしれない。また新書発売にあたりネット上にて本書の一部が読めるようになっていた為、西田亮介の本書復刊の意図を説明した記事と併せて以下にリンクを貼る。

新書版の出版社幻冬舎ウェブサイトにて読める本書の一部

新書版を編集した西田亮介による解説

民主主義

民主主義

民主主義──文部省著作教科書

民主主義──文部省著作教科書

民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版 (幻冬舎新書)

民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版 (幻冬舎新書)