2022年8月の音楽

Shuta Hiraki『Circadian Rhythms Vol.2』


Shuta Hirakiの新作アンビエントミュージック。
以下の通り、過去にVol.1が発表されている。

nzworkdown『Water State』

2022年7月の音楽

2022年6月は思うところがあり、新規購入した音楽は無い。

Shuta Hiraki『univocal』


Shuta Hirakiが2022年6月10日にリリースしたアンビエント作品。

『univocal』の意味を検索したところ、意味は、明白な、一つの意味しかもたない、とのこと。そのアナグラムは「vacuolin」となり、化学用語となるようだが、元は、空砲、液胞、という意味を持つ。「univocal」は「on baluster」と「lone」の2曲が収録されている。「on baluster」の意味を検索したところ、手すりを支える柱を意味するらしい。「lone」は意味を調べるまでも無いことだが。孤独を意味する。univocalの意味に寄せれば、ただ一つといった意味もある。紹介文には「work for fluttering lust with the rain sound of 梅雨」とある。梅雨のための音楽といったところなのだろうが、今年は梅雨明けが早く、気象庁が梅雨明けを宣言した後に聴いた。しかしながら、梅雨明けが発表された後、梅雨戻りと言うのだろう、雨の日が続いた。そんな中、ヘッドホンを付けて本作を聴いた。

主に「on baluster」について述べる。
全体として約15分の長さがあり、最後の残響の余韻のような時間を含めると概ね5回のタイミングで違うギミック等の追加や変化があるように思う。主にピアノのまばらな音、金属音、低音、これらのまばらな配置の音の残響が継続する。特に低音の残響がピアノの残響を引き立てる。5分頃にドローンとシンセサイザーが加わり、ドローンの消失と再生が続く。ここでピアノのまばらな音と金属音と低音の配置に一定のパターンがあると思われてくる。10分頃、ドローンが消失すると、ピアノと残響が重なって連なって行く。そして残響がこだまする。その後、低音の残響とともに高音の連なりの残響が続き、「lone」に至る。最初はピアノ音の心地良さばかりを追っていたものの、繰り返し聴いていくとドローンや高音、低音の残響の冷たい心地良さに身を委ねており、次曲の「lone」に引き継がれているように思われる。おそらく「lone」は「on baluster」の機械的な解釈による変奏と思われるが、気が付くと「lone」の方が好んで聴いている気がする。

Sun Ra & His Arkestra『Lanquidity』


喫茶店で暑い季節に丁度良いと店主が何度か掛けてくれた。サン=ラと言えば、ザ・スピリチュアル・ジャズといったところだが、一曲目のLanquidityの気怠い雰囲気が非常に良い。

Sun Ra & His Arkestra『The Magic City』


ジョン・コルベット 著、工藤遥 訳『フリー・インプロヴィゼーション聴取の手引き』において「Poly Freeの古典20枚」の1枚として挙げられており、『Lanquidity』と併せて聴いた。

Talking Heads『Remain in Light』

栗原裕一郎編著『村上春樹の100曲』より。アフロビートで構成されたアルバム。下記の『Fear of Music』よりこちらが良いと思う。

Talking Heads『Fear of Music』

栗原裕一郎編著『村上春樹の100曲』より。『Remain in Light』の前作となり、一曲目の「I Zimbra 」にアフロビートの導入が試みられている。なお、村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する。

the beach boys『Pet Sounds』

栗原裕一郎編著『村上春樹の100曲』より。一応、ビーチ・ボーイズに無知であるものの、まずは「ペット・サウンズ」は聴けということは知っている。なんでそんなことを知っているかというと、以前、綿矢りさによるビーチ・ボーイズに関する本の書評を読んだからだと思うのだが、詳細は忘れてしまった。
色々音楽を聴いてようやくこういった楽曲に向き合えるといったところである。そもそも、村上春樹の小説だと英語詞を理解していることが前提になっているものの、そこはさすがに判らない。
あと、昨今シティ・ポップの流行があり、ビーチ・ボーイズもそういった中で評価されているようだ。

the beach boys『Summer Days (And Summer Nights) 』

栗原裕一郎編著『村上春樹の100曲』より。村上春樹の小説においてビーチ・ボーイズの意味するところは重く、デビュー作である『風の歌を聴け』において本アルバムに収録された「California Girls」が重要な役割を与えられている。

2022年7月30日/蕎麦・119番・Nice Tshirt

長野県で蕎麦を食べるなら草笛という店舗が良いといった話を上司がしていた。そんな話を聞き、やたら蕎麦が食べたくなった。自宅ではパスタこそ茹でるものの蕎麦を茹でることは無い。しかしながら、最近は麺類くらいしか食べる気がせず、パスタの他、冷やし中華やら冷やしラーメンやらつけ麺等を茹でて食べている。ここに蕎麦が加わっても何も問題は無い。蕎麦つゆは創味のつゆであれば間違いない。薬味も買えば完璧だ。帰りにスーパーへ寄り、何でも無いプライベートブランドの蕎麦を買い、少し多めに茹でて氷で締め、これまた氷を入れた蕎麦つゆにネギを入れて蕎麦を食べた。久しぶりに自宅で食べた蕎麦は美味かった。

職場をいつもより早めに出て、いつもと違う道から自宅へ向かったところ、路上で介抱を受けている男性を見掛けた。介抱している女性は携帯電話で救急車を呼ぶものの、電話が繋がらないと困っている。そのままその場を通り過ぎたが、やはり気になり、自販機で水を購入して男性に渡した。介抱している女性によれば、元々男性の体調が悪かったらしい。もう一度その場を離れ、近場の建物の住所表示を探しながら119番通報をしたところ、コールが続き、最終的に電話が切れてしまった。一旦自宅に戻り、雷の音が聞こえたため、傘を持って現場へ向かったところ、女性から119番通報が繋がり、これから救急車が来るという話があった。その後、救急車が到着し、男性は救急車に収容された。SNSで噂を聞いていたものの、119番が繋がらないことはショックだった。平時とは言えないのではないか。また、中途半端な介入しかできなかった自分にもウンザリした。

病院により近所の薬局で薬を購入したところ、薬剤師にTシャツを褒められた。着ていたのは、12年以上前にユニクロで購入したジョジョの奇妙な冒険のTシャツ「キラー・ダンシング・クイーン」である。もちろん「キラー・タイガー・クイーン」も所持している。けれどもジョジョにボロボロになりつつある。昔はこういったものに興味を持ったものである。

2022年7月24日/偶然の一致

外出するにあたり、途中まで読み進めていたアイリス=オーウェンス著、渡辺佐智江 訳『アフター・クロード』を持ち出し、改めて冒頭から読んだ。本書は国書刊行会の「ドーキー・アーカイヴ」シリーズの第7回配本作品となり、本の惹句は以下の通り最高だ。

「捨ててやった、クロードを。あのフランス人のドブネズミ」
あらゆるものに牙を剥き、すべての人間を敵に回す
わきまえない女ハリエットの地獄めぐりが今始まる……
40年のときを超えて現代を撃つ、孤高の問題作!

電車の中で『アフター・クロード』を読み始めたところ、キレの良い文章に興が乗った上、遠出だったこともあり、行きの電車の中で半分以上を読み終えた。帰りの電車はさすがに疲れがあり、うたた寝したり、スマホを眺めたりしていたところ、Instagramにて菊地成孔の新バンド「ラディカルな意志のスタイルズ」の発表を知った。

www.instagram.com
帰宅後、『アフター・クロード』を読み終えた。わきまえない女ハリエットの物語の終わりに困惑と苦々しい思いを抱きつつ、おそらく何度か読んだ若島正の解説をもう一度読んだ。解説はスーザン=ソンタグの日記『私は生まれなおしている―日記とノート1947-1963』を読んでいたところ、若島正が関心を持っていたアイリス=オーウェンスの名前を発見して驚いたという偶然の一致から始まる。そして、アイリス=オーウェンスの『アフター・クロード』はスーザン=ソンタグが『反解釈』を刊行した出版社と同じとなり、アイリス=オーウェンスが出版社の創業者とソリが合わずに二作目を別の出版社で刊行した一方、スーザン=ソンタグは出版社の創業者に気に入られて『反解釈』で成功したという、ちょっとしたエピソードが語られる。

特に意味の無い同じ話題を目にした1日だった。なお、恥ずかしながらスーザン=ソンタグの著作を読んだことは今まで一度も無い。

2022年7月23日/音楽の聴き方

ジョン・コルベット 著、工藤遥 訳『フリー・インプロヴィゼーション聴取の手引き』を読んだのだが、もっと早く読めば良かったと思う良書だった。フリージャズの聴き方が判らないといった話をしたばかりだった友人にAmazonのリンクを送った。フリー・インプロヴィゼーションだけでなく。音楽全般の聴き方に影響を与えてくれたと思う。

ジャズ喫茶等のような場でレコメンドされた音楽を聴く際は緊張感を持って音楽と向き合えるものの、自分でチョイスした音楽に対する聴き方はどうにも適当になる節があった。そもそも、その音楽に関して言葉にすると、演奏者等や編成を具体的にしていく方法とその演奏に関して具体的に記していく方法があると思われるのだが、Bandcampで音楽をチョイスしていくと、主に英語等の外国語ができないこともネックとなり、いまいち前者の方法が取れず、後者の精度の低い方法で音楽を聴き、結局ボンヤリとした思いしか残っていなかった。しかし、本書を読んで確実に音楽を聴く精度が上がった気がする。あと、音楽を聴くモチベーションも上がった。

それでは今はフリー・インプロヴィゼーションやフリージャズを聴きまくっているかといえばそうでもない。その後に読んだ栗原裕一郎編著『村上春樹の100曲』から手始めにTalking HeadsやThe Beach Boysを聴いている。気怠いかなと思ったものの、やはり前掲書を読んである程度に聴きどころが判っているため、面白く聴けている。

2022年7月20日/再読する生活2

本棚から大学時代の病跡学や精神分析の講義の資料を見つけた。資料の中で目を引いたのは「暗い森」と題された朝日新聞の記事のスクラップだった。なお、その後に調べたところ、『暗い森―神戸連続児童殺傷事件』として書籍化されていた。スクラップを一通り読み進め、気分が落ち込んだ。また、同じ講義の中で東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を扱ったことも思い出した。確か、同事件を下にした演劇の台本を読んだのだ。この2つの事件から、いわゆる三歳児神話が話題に上がったものだが、今なら否定されるだろうか。それにしても、当時の講義の中で自分が何を考えたのか、10年以上経過しているため当たり前なのだが思い出せなかった。

更にジャン=ジュネをシステム論的精神分析の立場から検討した資料を読んだ。この資料に関しては執筆者を特定できず、残念だった。

過去の出来事を思い出して気分を害することが多々ある。しかしながら、ふと、こういった出来事を、過去に読んだ本の内容のように扱うことで、距離を置くことができるのではないかと考えた。ある意味で非人間的だと思ったものの、そこにどのような差があるのだろうか。また、飛躍して、ジョン=ロックが人間をタブラ・ラサを唱えたことを思い出した。ロックのタブラ・ラサという思想は―もちろんロックだけでは無いのだが―人間を分析の対象として、物体のように極めて冷徹な手付きで細かく解体し、非難を受けても構わないという覚悟の下で発表されたのではないだろうか。これまで哲学者や思想家たちの発言の覚悟を考えたことも無かったかもしれない。

2022年7月18日/再読する生活

令和4年5月末、稲垣諭の『絶滅へようこそ 「終わり」からはじめる哲学入門』 を読み終えた。私の記憶に間違いがなければ、著者は私が大学3年生にあたりに助教授として赴任してきたと思う。特に講義を受ける機会は無かったものの、河本英夫が講義中に「彼は文章が書けるんだ。上手い文章を書ける才能があるんだ」等と褒めていたことが印象に残っている。今回はたまたま著者の最新刊の発売を知り、題名が興味を引いたため手に取ることになった。天の川銀河級の視座の獲得を目指した本書は非常に面白く、著者のその他の著作も読みたいと思うものだった。

さて、上記掲載書の終盤には本書の要とも言える村上春樹論がまとめられており、村上春樹の物語の主人公の印象を変えるものだった。非常に刺激的で面白く、以前から十代の頃に適当に読んでしまった村上春樹の著作を読み直したいと思っていたこともあり、本書の読了後に『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』の鼠三部作もしくは羊四部作を読み直した。そもそもこれらの作品にきちんと繋がりがあることさえ把握していなかった。十代の頃に読んだ際、学生運動やら何やら何となく判っていたつもりだったのだが、現在の年齢になってみるともう少し深刻さが身に染みてくる気がした。更に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読み進めようと思っているものの、冒頭で挫折している。なお、関連本として積読状態だった栗原裕一郎編著『村上春樹の100曲』も読んだ。これもかなり面白かった。

知人から最近哲学に関する質問を受ける機会が増えた。私が哲学科に在籍していたことを知ったからなのだろう。現在もたまに哲学や思想の本を読む習慣は残っているものの、私は特に勉学に励む訳でもなく何となく卒業してしまった学生の典型だった。それでも学生時代に哲学を学んだ経験が得難いものだったと思う。むしろ、勉学に励んだ才能ある同級生がその後に哲学を勉強しても何も意味が無かったというのだから、判らないものである。そういえば、当時は良く実学志向の友人等から「意味があるのか?」「役に立つのか?」と問われ、その度に哲学を学ぶ意味を考えて自分なりに拙くも真面目に回答していたものである。よくよく考えると、友人たちは自分たちが学ぶ実学にこそ意味があると言いたかっただけなのだろうが、当時の私は若く、友人たちの気持ちをそこまで推し量ることができなかった。

さて、昨日は知人からアリストテレスの神の概念に関して質問があった。質問と合わせてリンクされた解説を読むと神を超越者と記載してある。正直、プラトンには馴染みがあるものの、アリストテレスは大学時代の哲学史を思い出しても印象が薄い。ネットを検索し、本棚から大学時代のノートやシュヴェーグラーの『西洋哲学史』と三省堂の哲学大図鑑を取り出した。やはりシュヴェーグラーは役に立ったものの、三省堂の哲学大図鑑は神に関する記述が無かった。おおよそネット上の検索のキーワードから不動の動者や観照を見て学生時代のノートに書き写した記憶を思い出した。とはいえ、理解するには質料や形相から学び直す必要があった。

本棚からノートを引っ張り出した時、今や批判が耐えない?病跡学の資料を見つけた。ちょっと資料を読み直そうと思った。また、シュヴェーグラーの西洋哲学史を読んだ当時は岡山県にいたので、文庫本の中に長崎ちゃんめんの餃子の割引クーポン券が入っていて笑ってしまった。

Twitterのタイムラインに椎名誠と目黒考二に関する漫画が流れてきた。以前に言及したかもしれないが、椎名誠の仕事をまとめたウェブサイト「旅する文学館」が面白い。また、集英社のウェブサイトで『失踪願望。』なる日記を連載していた。日記の淡々とした筆致や物事に関する感慨が面白い。思えば、椎名誠は小学生から中学生に掛けて熱心に読んだ作家で、おそらくSFを意識して読んだのは椎名誠のSF三部作である『アド・バード』、『水域』、『武装島田倉庫』や「北政府もの」だろう。

これらのように、偶然なのだろうが、最近は過去の読書のやり直しや学び直しをする機会が多い。そういう年齢になったということかもしれない。

colorful.futabanet.jp
www.shiina-tabi-bungakukan.com
gakugei.shueisha.co.jp

ロシアによるウクライナ軍事侵攻

天皇誕生日の祝日の翌日である2022年2月22日(木曜日)14時00分過ぎ頃、訪問先での仕事を終え、最寄駅から電車に乗ってスマートフォンを見るとロシアのプーチン大統領が軍事作戦を了承したとあった。軍事作戦の言葉の意味を飲み込めず、メッセンジャーアプリの友人たちのメッセージやニュースを読み、ようやくロシアがウクライナにおいて軍事作戦と称した戦争を開始したことを理解した。その後、移動中や勤務先でニュースを追った。ベラルーシからウクライナへ戦車が向かう光景に時代錯誤だと感じた。翌日に訪問した喫茶店の店主は「今、21世紀だよ」とロシアの行動を非難した。皆が同じように感じていることに安堵した。同時に21世紀後に起きた数々の紛争や戦争をどこまで把握してどれを無視したのかという思いも抱いた。
www.nikkei.com
www3.nhk.or.jp
news.yahoo.co.jpnews.yahoo.co.jpnews.yahoo.co.jpnews.yahoo.co.jpnews.yahoo.co.jpnews.yahoo.co.jp
上記のリンクは私が参考にした2022年2月21日のプーチンの1時間の演説の要約や全訳となる。演説の内容の正しさや間違いを指摘する知識は持ち合わせていないものの、プーチン大統領が、ウクライナやEU、アメリカを非難し、自国の正当性を強調するものとなっていることは判る。

私が危惧したのは、被害者意識を基に加害行為を正当化しているロシアによる一方的な侵攻にも関わらず、ウクライナにも瑕疵があり、ロシアとウクライナ双方に問題点があった故の戦争だったという雑な世論がまかり通ることだった。こんなことを危惧したのは、特にエビデンスは無いものの、常日頃からSNS等によく見受けられる傾向だったという認識が自分にあったからだろう。しかしながら、少なくない国際政治等の専門家は、素人目にはむしろ強硬と思えるほどに、はっきりとロシアが国際法に違反するといった論陣を張っていた。専門家たちは国際法に則ってロシアは非難したのである。現実主義は既定事実のみに基づく。故に物事をなし崩しにしてしまう。そうならないために必要なのは国際法のような一つの基準や基準を履行し続けることに意味を持たせることなのだろう。ここで国際法のような基準が理想主義と現実主義の折衷なのだという気付きがあるものの、法律論的に正しいのかはわからない。今もウクライナとロシアの戦争は続いている。

2022年3月下旬~6月上旬

3月末、忙しさをどうにか誤魔化していたものの、初歩的な仕事のミスに気が付き、一気に気落ちしてしまった。こうなるともうどうしようもないのだが、一人で抱え込んで沈むことはもう何度も繰り返している。そこで友人たちに相談したところ、好きな作品を読んだり観たりして元気を出すというアドバイスを貰った。友人の一人のお勧めはアニメのSHIROBAKOと響けユーフォニアムを観ることだった。

せっかく勧めてくれたのだからとSHIROBAKOの視聴を開始した。アニメの制作現場の話となるため仕事の締切の話題が良く挙がる。仕事で常に締切に追われている立場からすると全く気が休まらなかった。とは言え視聴さえ開始すれば夢中になるのは容易い。終盤の23話を観て号泣した。そして泣くために何度も同じシーンを繰り返し観た。最後は涙が出ず、顔から肩に掛けての筋肉の痙攣だけが残った。映画版も観た。失敗しても成功しても、仕事は明日も続いていくという終わりに納得することはできたものの、物語の中だけでも幸せなラストで幕を降ろして欲しいと思うことは勝手過ぎるのだろうか?

響けユーフォニアムを調べたところ、アニメから原作まで堪能したい欲求に駆られそうになったため、次に落ち込んだ時のために取っておくことにした。

今年の2月頃から良い加減に読んで置こうと、ホビットの冒険と指輪物語を読み進めていた。指輪の魔力に魅せられて苦しむフロドの様子が自分の精神的な落ち込みと重なった。映画は未見であったため、大団円を迎えた後に役割を終えた者たちが世界を去っていくことを知らず驚くこととなった。物語の世界であれば役割を終えた者たちの幕引きが用意されている。しかし我々は?そんな気持ちにもなった。なお、原作読了後にホビットの冒険を除く映画版を観た。映画版は王族系の登場人物が底の浅い設定になっており、この点に関してがっかりした。

精神的低空飛行はゴールデンウィーク後も続いた。観ようと思っていたシン・ウルトラマンの公開も始まった。しかし映画館に脚を運ぶ気になれない。健康診断の追加検査を予約し結果に異常が無いことを知る。5月の終わり頃、晴天の朝に気持ち良く目を覚ました。この時、ようやく精神的に復調したことが実感できた。シン・ウルトラマンを観るためにウルトラマンとウルトラQの視聴を開始した。シン・ウルトラマンの内容が徐々に公開され始めた。決定的なネタバレを避けるため、6月の初めに映画館に赴いた。シン・ゴジラの精神的続編として楽しむことができた。ウルトラマンやウルトラQを視聴してテンポの遅さに慣れ、小ネタに反応できる状態だったことが功を奏したかもしれない。

そうやって新年度の2ヶ月が過ぎて行った。

2022年4月の音楽

Robert Glasper『Black Radio III』


youtu.be
rollingstonejapan.com
「Black Superhero」において、ロバート=グラスパーが繰り返すピアノのフレーズの美しさに気が付いた。
Jazz The New Chapterを読んで約7年が経ち、ようやくロバート=グラスパーの魅力に気が付いたといったところだろうか?わざわざローリング・ストーンズ誌を購入して柳樂光隆のインタビューを読んだ。なお、このインタビューは上記の通り現在公開されている。読んだり聴いたりしたものが即座に効果を発揮する訳では無いのだと改めて思う。

Mary Lattimore『Collected Pieces: 2015-2020』


Mary Lattimore『Moon Over Deetjen's』


BLOAR『Another Candy Bar From G.I. Joe』


K. Freund『Hunter on the Wing』


Benedicte Maurseth『Hárr』


wzrdryAV『West Coast Systems』


wzrdryAV『West Coast Systems Vol 2』


Deaf Center『Pale Ravine』


Deaf Center『Neon City (Remaster)』


Taka Nawashiro『What We Do Now』


Taka Nawashiro『How We Travel Now』


Last Days『Sea』


Tharr『Soar』


Alvin Lucier『Vespers』


Green-House『Music for Living Spaces』


Hiroshi Yoshimura『GREEN』

2022年3月の音楽

Raum『Daughter』


GrouperはLiz HarrisとJefre Cantu-Ledesmaのユニットである。Twitterやbandcampから知った。どこかうら寂しさがある。展開も意図して突っかかることは無い。そういったところに心地良さがある。心地良さ…音楽を聴く時、ある種の快感や快適さを表現するために使用している。一方でそういったものとは異なる意外さや驚き、不快感も心地良さに繋がる場合がある。例えば繰り返されるフレーズのミニマルな要素には心地良さがある。では、そのミニマルなフレーズに変化が無いものかといえばそうではない。フレーズが繰り返されるなかで徐々に音の高低や追加等の変更が加えられている。また、フレーズが繰り返される経過の中で、例え同じで音であってもそのフレーズに見出す印象や意味は大きく変わるかもしれない。アンビエントやミニマルな音楽の面白さはこのようなところにあるのかもしれない。

Immortal Onion『Ocelot of Salvation』


ポーランドのピアノトリオ。ジャンルレスな印象を受ける。ピアノが早く鳴るという疾走感は音の数が短い時間に多く鳴るために発生していると思われる。長い音の残響ばかりを聴いていると、時間の意味の無い長さのようなものを認識することになる一方、ただのこの一瞬の中に生の意味が凝縮されることを思い出す。長い長い時間を比較すれば100年もただの一瞬でしかない。短い生をその一瞬に刻むという行為は儚くも尊くて意味の無いことなのか。

Motohiko Hamase『Reminiscence』


濱瀬元彦のセカンドアルバム。You Tube等で視聴していたがbandcampにあることを知り購入した。美しさにも種類があって、完成されたものがある一方で変化するものがある。何も付け加える必要が無いもの、そういった完璧さは人を厳かにさせる。厳かになった後、厳かになった自分の真剣さに何か可笑しさのようなものを感じることもある。真剣さや厳かさを最も重要であると人は感じるものだから、稚気や隙は無かったことになったのである。

Ayako KATO 『Improvisations for human and violin』


ライブ等に行かず、ただただイヤフォンやパソコンから音楽を聴いている時、人が肉体を使用して楽器を奏でていることを失念してしまう。イメージは都合の悪いことを捨象するかもしれない。だからこそ芸術は敢えて痛みや不快感から生の実感を喚起する。我々は生きているのに生きていることを忘れてしまう。おそらく生はそうでもしなければ端的に苛烈であり、投影して省みる必要があるものなのかもしれない。

2022年2月の音楽

James Blake『Overgrown』

Overgrown

Overgrown

Amazon
アンビエント的と言われているがそうでもない。1stAlbumと比較すると面白さに気が付けていない。

James Blake『Air & Lack Thereof / Sparing the Horses』


これくらい雑然としている方が今の自分には聞きやすい。

James Blake『Order / Pan』


同前。

Nala Sinephro『Space 1.8』


rollingstonejapan.com
mikiki.tokyo.jp
柳樂光隆の記事にて知り、聴いた後に細田成嗣と伏見瞬の解説を読んだ。私は完全にアンビエントとして聴いていた。

Sylvie Courvoisier & Mary Halvorson『Searching For The Disappeared Hour』


ギターとピアノが互いに離れて一致して融合していく快感がある。

Miho Hazama『Imaginary Visions』


端的にざっくりとしか聴けておらず、ざっくりとしか聴けなくなっている時、やはり自分はジャズが好きでは無いという疑いを抱くに至る。挾間美帆はジャズの深さと広さと懐の大きさをいつも教えてくれる。

Patrick Shiroishi『Hidemi』


ototoy.jp
柳樂光隆の記事にて知る。記事の通り、最後まで聴いて行くことで開放感のような感慨を抱くに至る。

ILL CONSIDERED『Liminal Space』


daily.bandcamp.com
上記の柳樂光隆の記事でも紹介されているが、当時は認識しておらず、bandcampの紹介記事で知った…が購入に至った経緯はアルバム名がLiminal Spaceであったから。名前負けしていない。
fnmnl.tv

Greg Spero『The Chicago Experiment』


daily.bandcamp.com
Jeff Parker参加が気になり聴く。気構えずに聴ける。

Ayako KATO『BAN』


free-impro.jp
https://twitter.com/HosodaNarushi/status/1495806927288377348


note.com
細田成嗣の短評がきっかけ。なお、昔は既に購入していたため1stAlbumであるBANを聴いた。

lazy magnet『Make It Fun Again』


bandcampを彷徨って聴くに至る。シンプルなピアノっぽい作品が聴きたい心境だったのだと思う。

Teddy Lasry『Funky Ghost 1975-1987』



今月のお気に入り。とてもよく聴いた。ジャンルレスに熱すぎず冷えすぎずで繰り返し聴くことになった。

2022年2月21日/経験を重視する立場に関して

自らの経験が重要であるという立場がある。しかしながら、身体が一つである以上、経験は非常に限られたものである。経験できる認識の主観は技術の進歩がしても現状一つしかなく、同じ時間軸上において並列に異なる経験をすることは、私が知る限り未だできていないはずである。

コロナウイルスの流行に伴い、医療的な知見に触れることが増える一方、いわゆるデマやフェイクニュースに触れることも増えた。これは東日本大震災の原発事故の影響が言及される際にも見受けられたものであり、既視感を憶えるものだった。

コロナウイルスの情報等をネット上で集めていたところ、ある国会議員の感染経緯を記したブログを読んだ。この国会議員は自らが感染した経緯から接触感染を疑い、飛沫感染だけでなく接触感染にも対策が必要との提案をしていた。

コロナウイルスの感染対策に関して比重が置かれていたのは「三密」に示されるように飛沫感染だった。一方、この国会議員の自らの感染経緯から接触感染に注意を払うべきだという提案をした。この国会議員の提案がその後に重視されたとは思えないものの、政策に関与する国会議員が自らの経験を重視することで、客観的な情報に基づいた政策が個人的な経験に基づいた政策にリソースを割かれる可能性があることを垣間見た。

こういったことに関して下記を読み色々と腑に落ちることがあった。なお、著作自体は読んでいない。
shobunsha.info

2022年1月の音楽

James Blake『James Blake』

James Blake

James Blake

  • ジェイムス・ブレイク
  • ダンス
  • ¥2241
youtu.be

James Blake『The Bells Sketch』


James Blake『CMYK』


James Blake『Klavierwerke』


James Blake『Love What Happened Here』


Jordan Rakei『What We Call Life』


Portico Quartet『Monument』


Jon Hopkins『Music For Psychedelic Therapy』


Esperanza Spalding『SONGWRIGHTS APOTHECARY LAB』

SONGWRIGHTS APOTHECARY LAB

SONGWRIGHTS APOTHECARY LAB

  • エスペランサ・スポルディング
  • ジャズ
  • ¥1935
youtu.be

Yoichi Ichikawa『Sea Of Solaris』


Tord Gustavsen Trio『The Other Side』


けもの『美しい傷』

美しい傷 - EP

美しい傷 - EP

  • けもの
  • オルタナティブ
  • ¥1222
youtu.be
youtu.be