泰平ヨンの航星日記

スタニスワフ=レム著、深見弾・大野典宏訳「泰平ヨンの航星日記」を読んだ。
2016年8月半ばに読んだ作品となる。
さて、困ったことがある。それは私が本書の内容を全く以て忘れてしまったことである。しかも本書は泰平ヨンを主人公として連作集となるため、文庫本の背表紙のあらすじが何かを思い出すきっかけにもならない。

私が憶えているのは本書を購入した時の事である。友人とコーヒーの試飲会に参加後、青山の本屋で購入したはずである。友人は山梨県の小さなワイン醸造所で働いており、上京した際に私を遊びに誘うのだ。おそらく本屋で手持ち無沙汰だった私は何となく適当に書店内を見て回りながら近場の本屋に無かった本書を見つけて購入したのだと思う。
何故、私が本書の内容を忘れるに至ったのか、その原因は人間の構造に問題があると思料される。それは記憶の問題である。記憶は有限、というか忘れるようになっている。しかしながら思い出せないことと記憶が有限であることは同じでは無い。ふとしたことがきっかけで過去の記憶が脳裡を過る経験をしたことは何度もある。最近夢に昔好きだった女性が現れて一緒に肩を組んで歩いた。女性は何故か私に小学校の給食センターの拡充や業務の効率化を語り掛けて来た。私は困った。非常に困惑した。彼女が給食センターを話題にする理由が判らなかった。そして目が覚めた。私は女性との再開を喜んだ後に悟った。この広い地球で彼女とは夢の中でしか会えないということに…つまり、私は本書を憶えている可能性があるものの、思い出す術を知らないだけなのだ。

こうやって本書の内容を思い出せないと記述しているが、この内容こそ記憶が無意識に作用し、本書の凡その内容を示している可能性が万に一つあるかもしれない。更に言えば先程コンビニで千円以上の買い物をした結果、くじ引きを引くことになり無料で手に入れたジムビームを飲んでいるため、この文章はアルコールの推進力を伴い、霊感がエウレカしている可能性も否定出来ない。最近ビールの飲み過ぎで大抵のものを吐いただけにアルコールは飲まないようにしていたのだが、天は私にアルコールを飲めと勧めるばかり、その後の救済は用意していない…ちなみにまだ酔っていない(酔った奴に限って酔っていないというものである)。

さて、私がレムの作品を読むようになったのは「惑星ソラリス」の鑑賞後に原作「ソラリス」を読んだという良くある話である。レムはハードコアな作品の他にユーモアやハチャメチャなSF的仕掛けを用意した娯楽的な作品を書いている。その筆頭が泰平ヨンシリーズとなる。しかも同シリーズはレムにより改訂も多くなされているという。ちなみに泰平ヨンが登場する作品が全て邦訳されているかは以前調べたことがあるものの、やはり忘れてしまった。こんなブログを読んでいる暇があったら本書を読むべきだが、何故か世の中は本題にたどり着くまでに多くの障壁が用意されているものである。しかしながら果たして障壁とは?お金?時間?そもそも読むべき本とは?