2018年9月24日/ホモ・ルーデンス

深町秋生の「インジョーカー」は外国人技能実習生の問題を扱っている。一方、ジェームズ=モンタギューの「億万長者サッカークラブ」は中東の出稼ぎ労働者のカファラ制度を取り上げている。どちらも現代の奴隷制度と言われている。
ふと、古代ギリシアの哲学者たちは奴隷に労働を任せることで哲学に勤しんでいた事を思い出す訳だが、上述した現代の奴隷制度を論ずるより前にグローバル化による搾取する側とされる側の問題は以前から成立していると回答に辿り着き、手に余る話だという結論に至る。
話を整理しよう。
まず、現代の奴隷制度として批判される制度がある以前から搾取する側と搾取される側の構造は存在する。
また、搾取する側とされる側という関係性を何を以て定義するのか、搾取とは何かという問題が発生する。
そして、そのような状況下で成立している現代の哲学と古代ギリシアの哲学を比較することに意味があるのか、比較する事が可能になのかという問題が発生する。

ジグソーパズルの最後の1ピースが足りない。そんなことってあるだろうか?等と言ってみると、むしろ有りがちな、ごくごくありきたりなことではないかと思えてくる。
元来、私はジグソーパズルに取り組む趣味は無い。小学生の頃、姉がジグソーパズルにハマり、一時期はかなり大きな作品に取り組んでいる横でちょっかいを出していた記憶があるのみである。
そんな私がジグソーパズルに取り組んでいるのは余りに暇を持て余していたこと、作品の完成による達成感で精神衛生の向上を図るためであった。仕事用の道具を購入するため大型ディスカウントストアを彷徨っていると、店内改装で目的の商品の位置がわからなくなっていた。別に慌てる事もないと、試しにオモチャコーナーを回ったところ、ジグソーパズルの棚があった。煌びやかなディズニーのパズルも凝ったものでなかなか良い。購入を迷っていたところ、300ピースのコーナーに木製のムーミンの挿絵のジグソーパズルを発見する。これなら部屋の隅に飾られていても違和感は無いだろう。
私はジグソーパズルを枠組と共に購入して帰宅した、その後、アルコールやらコーヒーやら煙を飲みながら適当にジグソーパズルに取り組んだ。適当な記憶を辿り、確か端の部分からピースをはめて行く。面白いものでピースをサクサクとはめて行くことが出来る時もあれば、全く該当するピースを見つけられない時もあった。

土曜日の郊外。山を彩る樹々の葉。乗車した電車ではハイキングスタイルの老若男女が所々に見つけることができた。

私は氏名を名乗った上、名刺も渡しているのにも関わらず、相手は名前を言わず名刺を渡すことも無い。情報の非対称性が即ち相手との権力関係を物語る。

スマートフォンが示すがままにバスを利用したところ、降車するバス停は「××高校前」となっている。降車した目と鼻の先には校門があり、高校生が出入りをしている。夏休みももう終わろうとするなか悔い無く過ごせ若者よ等と勝手な事を考えながら坂道を登ると雨に降られた。

勝田文のモーニングでの読切「オセロ野郎」を読む。オセロの盤上と黒と白をモチーフにした人物が登場する。何度か読んだところ、直接的な表現は無いものの、迷えるアラサーの男女の関係をしっかりと描いた物語であった。

仕事で客先を訪ねたところ、職員間で情報共有が明らかにできていない状況である事が判る。どうにもならん等と内心思っていたが、さすがにこれは不味いと思ったのか、後日客先の事務方から追加の報告があった。

時折り、実家方面に向かう仕事がある。使い慣れた電車に乗り、変わった風景と変わらない風景の間で時の流れを感じる。ふと、あの時、この風景を眺めていた自分が想起されるものの、それは今私が懐かしさに作り上げた改竄された記憶でしかないはずだった。あの時、私は毎日眺めるこの風景に対して飽き飽きしており、幾度かは悪辣な言葉で罵った事もあったはずなのだから。

婚活アプリで女性の趣味等を眺めていたところ、読書好きな女性はサリンジャーやブローティガンを読んでいた。さすがにピンチョンを読んでいる人を見掛けることは少なかった(全くいなかったという事は無い)。サリンジャーは「キャッチャー イン ザ ライ」以降読んでおらず、GRAPEVINEが「フラニーとズーイ」をモチーフにした「フラニーと同意」という楽曲を聴いて読もうと試みたことがあるだけだった。これも良いきっかけかとネットで検索したところ電子書籍が無かったため、本屋に赴いた。せっかくだからと購入していなかった「jazz the new chapter」の4と5、三巻以降が電子書籍化されずに読めていない「航空宇宙軍史 完全版」の文庫全巻、「村上春樹の100曲」、「兵士を救え!マル珍軍事研究」、「新版 論理トーレニング」を購入する。私にとっては久しぶりに高い買い物になった上、本は重かった。

村上春樹訳の「フラニーとズーイ」を読み進めたところ、なるほど面白い。「キャッチャー イン ザ ライ」の青年の過剰な語りにはうんざりしたが、「フラニーとズーイ」等のグラース家の物語には興味が持てそうだった。「フラニーとズーイ」では青年期の精神的破綻の兆候とロシアの巡礼者の物語とキリストに対する信仰が東洋思想と共に語られる。そして物語は意外にも素朴な落とし所を用意しているのだった。
その後、サリンジャーの「ナインストリーズ」を読み終え、文庫本の『「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」「シーモアー序章ー」』と単行本の『「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる」「ハプワース16 1924年」』を購入した。このまま一気にサリンジャーを読んでしまおうと思う。

午前中に仕事を終え、携帯電話に客から電話が入っていた事を言い訳に喫茶店に寄って時間を潰していたところ、冗談みたいな大雨が降り出した。

電車に入ると微妙な匂いがする。後続の高校生たちが「うわ、臭い」「おい、お前屁をこくなよ」等と言い出したため、思わず笑ってしまった。

「ロックマンX アニバーサリーコレクション1」を購入し、プレイを始めた。私は「ロックマンX」、「ロックマンX2」に関してかなりやり込んだという自負がある。しかし、その後RPGばかりやるようになりアクションゲームから離れてしまった。失われた過去を取り戻す私の戦いが今始まった…