2018年5月20日/変身譚

死ぬこと以外に人間を辞める方法を考えると、山月記における李徴は虎になれて良かったのではないか。李徴の不幸は虎になった後、人間として意識を保っていたことである。人間として意識を保っていたのは、物語が成立するための要請であり、李徴が人間であった自分を反省するための要請でもある。李徴は自らが虎となった理由を人間であった頃の自らの精神性に由来すると考え、当惑した上で以下のような考えを思い付いては呟き、直ぐに捨て去る。

「一体、獣でも人間でも、もとは何か他ほかのものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?いや、そんな事はどうでもいい。」中島敦 山月記より引用。