2017年4月23日/海が見える市役所にて

電車に乗り込むと女性が座席に横になって眠っている。最初は無視していたが、周りの女性を訝しむ視線を見つけ、「もしかしたら死んでいるのでは?」と思い、女性を見ると鼻を擦っている。どうやら死んでいる訳では無いらしい。ホッとしてスマートフォンを眺める。何故女性は電車の座席で横になり周りを省みず心行くまで眠る事になったか。

ふと下ネタを思いついた。漢字で伏せると珍珍ぶらり途中下車の旅というしょうもないもので、おそらく露出狂の犯罪者が警察に追われながら余罪を重ねて行く話なのだろうなと思った。しかし、何故今更ぶらりという言葉から頭の中で一筆書きのイチモツを描かねばならぬのだろう。ぶらりからポロリ、ミッキーマウスとポロリと終わり無き連想と闘争。

真鶴街道と熱海街道を抜ける。海沿いを車で走るのは気持ち良いが、急カーブと後ろを走る初心者マークを付けた車があるために気が抜けない。バックミラーに移る青年たちは大学生だろうか?こんな天気の良い日に仲間と海沿いをドライブできるなんて、有りそうで無い事だ。羨ましい限りだと思う。そんな生活を砂漠の中のオアシスだと形容したのは伊坂幸太郎だ。青春は何時か終わるからこそ、美しく印象付けられる。

山間の道路を抜け、下校中の小学生を車で追い抜くと尿意を覚え、市役所に車を停め、トイレを借りる。誰も居ない市役所、天窓から降り注ぐ光に日焼けした置き物。市役所を出ると海が青葉から垣間見える。時間がゆったりと進み始めるのが判る。車に戻り、座席を倒して外を眺める。風が少し強く、車を揺らす。市役所の横にある幼稚園から園児が駆け出してくる。小学生が重たそうなランドセルを揺らしながら喧しく通り過ぎる。役所の出入口から老人が這い出してくる。知らぬ間に身に付けた忙しなさからすれば、最早喜劇にすら見える光景だった。しかし、むしろその忙しなさこそ喜劇めいていて、実は悲劇では無いのか?そんな自問は後でまとめてすることにした。