2017年3月26日/ゼリーに鑑みる

相模湖の夜景が美しいと思う。しかし、それを分かち合う相手もおらず、運転中に視線が定まらなくなり、何とかパーキングエリアに逃げ込んだ身の上では、ちぐはぐな感想だとも思える。良く出張先を楽しむなどというが、そういう余裕は未だ得られていない。それとも人は、どんな状況でも美を発見してしまうものだろうか。災害の中で、戦争の中で、不況の中で、衰退の中で。そんなことを考えながら、そうなる前に美しいと思えれば、必死になって守ろうとするのだろうかとも思う。

化学の教師が言った冗談を思い出す。「私は人類の幸福を願っているんです。地球の人々全てが幸福なればいいなと願っている。そんな殊勝な事を願っている私なら幸福になれるんじゃないか、宝くじ位当たるんじゃないかって考えながらね。」

車内で目の前に座った女性がゼリーをコンビニ袋に隠し、食べている。透明質な黄色のゼリーがスプーンで口に運ばれる。一口、二口、三口…車内でゼリーを食べるが故に幼いと思うのか。そもそも幼い顔付きの女性なのか、印象の前後は曖昧になってしまっている。

「わが恋は 空しき空にみちぬらし 思ひやれども行く方もなし」検索の末に空しき空という言葉に行き着き、その用例をタップすると古今和歌集の恋歌を知るに至る。

相模湖の夜景に行き着くこと、古今和歌集の恋歌を知ること、果たしてどちらの方がより隔たりがあるものだろうか?その隔たりはおそらく手段を言って、実感としては距離ではなく、視界を遮る類のもののように思える。

鑑みるという言葉は「~を鑑みる」という用い方は誤りで、「~に鑑みる」が正しい用い方らしい。このブログでは散々「~を鑑みる」と用いてきたのだが。