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うしろめたくない過ごし方

ライターの雨宮まみが亡くなったという。
通勤途中にアカウントも持っていない他人のtwitterをスマートフォンで巡回していると不意に訃報を知ることになった。
私は雨宮まみの知り合いでは無く単なる一読者に過ぎない。しかもネット上の連載しか読んでいない、余りよろしくない読者だろう。
それにも関わらず、スマートフォンの液晶から発せられた情報は私はひどく動揺させた。
そもそも、雨宮まみをどのように知ったのだろう。今でこそ聴かなくなってしまったラジオ番組を介してだろうか?その後はtwitterでフォローしながら彼女のコラムを読んでいたのだろう。
彼女の文章は自らの考えを赤裸々にした上で話が組み立てられていた。その律儀さと真面目さに頭が下がる思いがしたと同時に、言葉にすることによって彼女自身深く傷ついたのでは無いだろうかと思う事もあった。しかし、それは物事を表現する際に避けて通れない性質であって勝手な同情というものなのだろう。
彼女の訃報を知った際、直ぐ様思い出したのは、つまり私に雨宮まみという存在を印象付けた、人生相談への回答だった。
彼女はここで相談者に対して、大きな変化を起こすのでは無く、自ら地味なつまらない方法と語りながら、今出来る少しの調整により罪悪感や不安を減らしていく事を勧める。
私の回答を読んだ時、「ああっ」と思わず心の中で呻き膝を叩いた。罪悪感や不安を減らし、余裕を持てるようになるのが「自由」だったのだ。
そう、意外にも日常には小さな罪悪感や不安がひしめいている。シャワーを浴びず歯磨きもしないで寝てしまう、部屋を片付けない、洗濯物を溜めてしまう、約束の時間を守れない、伝えたいことが伝えられない…そういった罪悪感の数々が劣等感を生み、人を脆く倦ませるのでは無いだろうか。
罪悪感を減らす。それはつまりうしろめたい思いをしない事だ。意外にもこれは難しい。正しさを求められている訳でもない。何かを禁止する訳でも無い。どちらかと言えば、事前の準備や具体性が求められる性質である。正直少し面倒な事だが、少しこれを意識する事で、かなり楽に日常を過ごせるようになった気がする。それを教えてくれたのが、他ならぬ雨宮まみだった。それ故に私は動揺してしまったのだ。

cocoloni.jp

上記のような文章も好きだったが「運命のもの、どこで買えますか?」といった連載が面白かった。特にスニーカーを購入する回は、おそるおそる好奇心を持ってスニーカーを試し履きしていく様子がとてもキュートで、照れ笑いをしているようにも見える、スニーカーを履いてポーズを決める雨宮まみの写真がとても素敵だ。

srdk.rakuten.jp

雨宮まみさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

mamiamamiya.hatenablog.com