2015年11月9日~2015年11月15日

雨が降っている。おかげで蒸し暑く、電車の中で額に汗を流している。汗、労働の対価、輝き。

なんてこった、俺が本を読んでいる間にあいつは女と寝ていた。全く取り返しがつかない事になってしまった。

なんてこった、俺が女と寝ている間にあいつは本を読んでいた。全く取り返しがつかない事になってしまった。

満員電車に乗り込むと窓が開いている。蒸し暑さのなかの清涼感。

食事をしてシャワーを浴びてベッドの中に入れば素晴らしい明日がやってる。で、それで?明日がなんだって言うんだ、星の自転と惑星の運動は当然の帰結じゃないか、しかも俺が明日を迎える為にじゃないんだ、ただ運動、宇宙の、自然の法則に従って、誰の為とも無くやって来る。それに便乗してるだけなのさ。しかもだ、あろう事かそんな科学の結実なんかも自分の経験や考えと乖離していると認めない連中がいるんだから呆れたもんさ、経験なんかがどうしたっていうんだ?大抵忘れているんじゃないか、忘却の彼方さ。そんな曖昧な経験とやらと思考と論理的な帰結が同じ価値だって?「経験的に」だとか「常識的に」、そういった台詞で論理なんて吹っ飛ぶのを何度も見てきたよ。論理的で柔軟な考え方が出来る方ってのはこれがよく判っている奴さ。悪い冗談だ。そういう時の決め台詞は「これが現実なんだ」ってさ。判るよ、これが両立するってのは人としてよく出来てると思うよ、ほんとうに。つまり、都合の良い部分、論理っていうより、便利な道具なら誰もが現実って認められんだ。我、道具を使う、ゆえに我と道具有りだ。そうやって考えると色々納得が行くよ、つまり都合が良いか悪いかが全てさ、論理なんてありゃしないんだ、納得しないなら無視すれば良い、言いたい事だけ言ってあとはケチだけつければ良い。いやぁ、こう言いながらどの口が言うんだよって思うね。

黒人男性が腰を叩いてリズムを取りながら歩いていた。

アルカジー&ボリス=ストルガツキーの世界終末十億年前を読み終える。やはり現代のお伽話よりこちらの方が断然好みである。

注文していたワインが届いた。一箱分、つまり六本である。とりあえず新酒では無くスパークリングワインから開けた。最高だ。

雨ばかり降っている。眠りに着けば現実の裏返しの願望が披露される。嬉しいやら悲しいやら。

アルカジー&ボリス=ストルガツキーの収容所惑星を読み終える。どうやらこの物語は蟻塚の中のカブト虫、波が風を消すに続く三部作であり、神々はつらい、地獄から来た青年と同様、超文明を持った人類が発展途中にある惑星に干渉する物語であり、先に読んだ二作より組織的に人類が惑星に干渉している様が描写されていた。どちらが先に描かれたものかは確認していないが、この作家のシリーズものだと言う事なのだろう。

甲州の辛口と甘口を開けたが美味い。基本的に辛口が仕様だと聞いていたが甘口もあるらしい。馬鹿舌ではどちらも美味いとしか言いようが無い。

ジムに出掛ける。外に出ると昨日から降っていた雨が止んだところだった。電車に乗り込み座席に腰を下ろすと横で子どもが父親と楽しそうにじゃんけんを始め、母親と更に小さい子どもがそれを笑いながら見守っている。果たしてこういった光景の当事者になる事はあるのだろうか。そんな事を考え、電車を降り駅を出ると北西の空に晴れ間が広がっていた。

ジムのモニターでブラタモリを眺める。今回のテーマは小樽だった。北海道に仕事で行った事がある程度で観光地には縁が無い。

外に出ると淡い光に街が染まっている。特段面白くも無い毎日は寝て忘れようと思った。