コングレス未来学会議

アリ=フォルマン監督作品『コングレス未来学会議』を観た。原作はスタニスワフ=レム著「泰平ヨンの未来学会議」

ハリウッドは人気絶頂期の俳優をスキャンしデジタルデータとして自由に作品をつくる事が可能となっていた。「キアヌ=リーブスもサインした。」と女優ロビン=ライトに声が掛かる。旬を過ぎた女優ロビン=ライトは仕事が激減、シングルマザーとして娘と難病の息子を抱えていた現実は変えようも無く、息子が検査により失聴等の可能性が高まっている事を知ると、高額の報酬と引き換えに全身スキャンと芸能活動の禁止を受け入れるのだった。
二十年後、ロビン=ライトのデジタルデータは頑なに拒否していたSF映画のアクションヒーローを演じ続けていた。ロビン=ライトは契約更新と未来学会議に出席する為ある街を訪れる。街に入るにはドラッグの服用が義務付けられていた。車を運転中、ドラッグの効果により全てがアニメーション化、ロビン=ライトはこの事態に驚き呆れながら現実と虚構を曖昧にしていく。契約更新でロビン=ライトに示されたのは、誰でもロビン=ライトになれるドラッグの開発が成功した事だった。未来学会議での新薬の発表に対し「目をさますべき。」とロビン=ライトはメッセージを送るも観客に声は届かない。そしてテロが勃発、ロビン=ライトのデジタルデータで作品を作り続けてきたというジョンと避難しようとするも、街に散布されたドラッグを吸引したロビン=ライトは意識を失ってしまうのだった。
更に二十年後、ロビン=ライトはコールドスリープから覚醒する。目覚めた世界はドラッグによりアニメーション化、全てドラッグで願いを叶えられる為、人類は自由と平和を手に入れていた。そんなユートピアでロビン=ライトとジョンは愛を交わし合う。しかし息子を忘れる事が出来ないロビン=ライトはジョンから得たドラッグ解放の薬でアニメ化した世界から現実の世界に戻る。装飾を剥ぎ落とされた世界では虚ろな人々が街を漂っていた。ロビン=ライトはジョンの主治医を尋ねるものの「息子はあなたを待っていたが既にドラッグの世界に行ってしまった。もう会う事は出来ないだろう。」と語る。ロビン=ライトは息子が居ない世界では生きていけないと、ドラッグを服用し息子のいる世界へ戻るのだった。

ロビン=ライトをロビン=ライトが演じており、ハリウッド映画事情に詳しい人が見れば、現実と虚構が重なる部分も多いのだろう。その辺りに疎い為、せいぜいSF映画に出たくないとSF映画で語るロビン=ライトや、どうみてもトム=クルーズらしき人がデジタルスキャンの契約更新に来ているところに笑う程度だった。
原作と本作を比較すれば、未来学会議でのテロ発生以降の筋書きは結末以外は変わりが無い。
原作の結末は、滅びを前にした人類に対し安楽死させるべくドラッグ化した世界が作られた事が明かされ、口論になった主人公と黒幕が窓から落下したところで、現実の世界で主人公が目を覚まして終わる。原作では現実の世界があり、現実の世界の主人公の夢の中で、現実の世界とドラッグ化した世界があった。
本作は主人公が現実の世界で観ている夢では無く、現実の世界とドラッグ化した世界しか無い。そして主人公は息子の居ない現実の世界に望みが無かった為に、ドラッグ化した世界で息子と共に生きる事を選択する。
原作では主人公が現実の世界とドラッグ化した世界を軸に物事を考えるのに対し、本作の主人公は息子のいる世界と居ない世界を軸にしている事が判る。
本作の結末を観た際、主人公の心理的な側面だけをクローズアップした作品だと思ったものの、以上で説明した作品の構造を考えると、主人公の最後の選択を含め曖昧にしたところが無い正直な作品だなと思う。
普通、腐っても現実こそ大事と言うべきところを、現実に希望が無いなら幻覚でも良いとはなかなか言えないし、そう言えてしまう世の中でもあるという事なのだろうか。