2015年10月5日〜2015年10月11日

スガダイローの刃文を聴いている。蓮の花が美しい。ピアノは単純にその音色だけで美しい。

「帰ってたんだ。」夫はそれだけ言うと鞄を持って午前七時前に家を出て行った。もう、会話はこれ以上は起こるべくも無い。トーストを齧り八時前に自宅を出る。通勤に便利だからと都心に程近い場所に買ったこのマンションも売却する事になるだろう。駅まで道のり、幼稚園の制服を不慣れに着こなした子どもとスーツを着た若い男性が目に入る。子どもが入れば、こうはならなかっただろうか?そんな思いが頭を掠めるものの、どちらにせよ夫婦仲は冷めてしまったのでは無いだろうか?夫婦のすれ違いとは、つまり互いに興味を失ってしまったという事に尽きるのだ。では互いに興味を失わない方法とは何だろうと思い、失わないでは無く、失ってしまうきっかけこそ問題なのだと、何度とも無く繰り返して来た答えにまた鉢合わせてしまった。

女子高生が岩波新書を片手に満員電車に乗り込んで来た。「科学時代と合理主義」という文章を垣間見るものの、人混みに押し込められイヤフォンの電波と共に遮られる。何だって今日は人がこんなに多いのだろう。そう考え、学生の講義が始まるのだと一人合点が行く。

喫茶店にて若い男女が机に教科書を広げて勉強していた。

遠くの物に焦点がまるで合わなくなった。そう言葉にして、それは視力だけでは無いかもしれないと考えた。

濃い顔の男性がカラフルな菓子袋からクッキーを取り出し音を立てながら食べている。

早々と寝た。

巨大な家に独り。戸締りの為に各部屋を周り、鍵を閉めようとするのだが、キリが無いと諦めてしまう。

集会が始まる間際、巨大な雄牛が村に現れた。中年の女性が襲われた若い女性を助けるべく大木を雄牛の顎の下に突き上げた。動けなくなった雄牛から茶色い内臓が生きたまま取り出される。それは硬く、また割れる事の無い柔らかさだった。その内臓は主神トールの鎚に由来するのだという。

目の前に立った女性が頻りに羽織ったパーカーの匂いを嗅いでいる。確かにどこぞかで食事をしてきたかのような匂いがした。

修羅の刻を読んでいるのだが、陸奥信玄の娘である静流は天然という設定であり、今時正直どうなのかと思ったのだが、天然とは便利な言葉で、つまり馬鹿なのだと合点がいった。

短期出張の為に簡単な荷造りを済ませる。

空港から市街地に向かい、更に在来線にて目的地に向かった。田畑とマンションが点在する光景は今時どこでも同じなのだろう。

外から聞こえる笑い声にいつしか苛立ちなども覚え無くなったのだと気がついた。