『マッドマックス 怒りのデスロード』

ジョージ=ミラー監督作品『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観た。

荒野、改造車の傍らに男が佇んでいる。入り乱れる無線の音、脚元に現れたトカゲを踵で踏み潰し、口に運ぶ。

男たちに捕らえれ、生きた輸血袋としてスキンヘッドの色白男に繋がれる主人公。隻腕の女性と首領の妻たちが逃げ出すという事態に輸血袋として巻き込まれる。物語はただひたすらに死のレースを描くのだが、全く無駄が無い。例えば、主人公が隻腕の女性と首領の妻たちと出会い小競り合いになるだが、主人公が放った銃弾は美しい首領の妻の一人の足を掠める。彼女は逃亡劇の中、脛から一筋の血を垂らしていたが為に、車から振り落とされ命を落とす。因果関係、そして行動と動機が一致した世界だが、荒廃した望むべくも無い世界だ。生きた輸血袋、子産み女、母乳生産装置と化した女たち等、よくよく考えてみればえげつない描写があるものの、気にする暇さえ無く、馬鹿げた改造車が荒野を疾駆し、爆炎を放ち残骸と化して行く。

しかしシャリーズ=セロンは何時観てもセクシーだと思う。