2015年8月31日~2015年9月6日

霧雨程度の雨だと気がつき傘を畳むと、電線から滴る水滴がこめかみに落ちた。

雨がもたらしたのは蒸し暑さだった。

流されるがままにたどり着いた場所で得た出会いも、研鑽の上にたどり着いた場所で得た出会いも、共に等価だと気がついた。

朝、制服姿の学生を見掛け、今日が九月一日である事に気がつく。

久しぶりに青空を見掛ける。

どうにも何かに手をつける気もなれず、音楽ばかり聴いている。エイトル=ヴィラ=ロボスのブラジル民謡組曲、ドビュッシーの版画、ブラームスの雨の歌、どれも小説や漫画を読んで知ったものだった。

現状の認識は他人の言葉で指摘される事によって完成するのだと思う。最近、漫画を読んだり、上司と話していてそんな事があった。楽観的な気分にも悲観的な気分にもなった。

網戸から魚が焼ける匂いが漂ってきた。上階が騒がしく、外に出て格子に囲まれたベランダを見上げると七輪だかオーブンだか、もくもくと煙が上がっている。下階の人間の事など考えようも無いのだろう。怒る気にもなれず、窓を閉めエアコンを点けた。

久しぶりに晴れるらしいと知り、洗濯をして干しに掛かる。雨が降らない事を祈るばかりだった。

ジムのモニターにて散歩の番組やら昼の情報番組、朝の連続ドラマ小説やら大河ドラマを眺める。イヤフォンを無くした為、耳許が寂しい。

久しぶりの晴れ間の為か蝉の鳴き声が聞こえる。

映画の感想等を綴ってみるのだが、そもそも内容を忘れている。おそらく映画を観ながら、違う事を思い出しているのでは無いか。そして思い出した事もまた忘れ、後には何も残らないのだ。

散歩をしてみるのだが、仕事の事を思い出し腹立たしい気分になってしまう。しかし腹を立てるだけ無駄な事、大体は答えが出ていたのだった。途中、天気予報通り、雨が降り始めた。木々の下を歩き、小雨を避けて進んだ。コンビニに寄りアイスモナカを買って食べた。信号を待っていると雑誌を持った神経質そうな若者が厳しい目を向けて来た。