2015年7月27日~2015年8月2日

早めに目覚めジーンズを洗い干す。遠くから猫の鳴き声、一軒家から女子高生が自転車で出掛ける物音が聴こえる。

着替えて自宅を出る。一気に汗が噴き出る。駅構内の入口で手を繋いだ男女を見掛け正気かと思う。

スタニワフ=レフの完全なる真空を読み終え、群像社から出版されているアルカジー&ボリス=ストルガツキーの著作を読みに掛かる。まず地獄から来た青年を読んだのだが、アレクセイ=ゲルマンの神々のたそがれの原作となった神様はつらいと同様、地球人が発展途上の惑星に干渉を図る一連のシリーズものだった。神様はつらいが、中世の反動期の最中を思わせる惑星で知識人を救い出そうとする地球人を描いたものに対し、地獄から来た青年は、第二次世界大戦を彷彿とさせる争乱の最中の惑星の叩き上げの特殊部隊員が、地球人が惑星に干渉し戦争を終結に導く様を茫漠と見守る姿が描かれている。

帰路、朝良く見掛けるスーツ姿のだらしない男がこれから仕事に出掛けるようだった。疲労の表情を浮かべた顔に、日々の倦み、それぞれの生活を思い出させた。

ヒアージョでは無くアヒージョだった。恥ずかしい。

交差点の向こうで中年男性が連続でくしゃみを三回した。

路上で猫を見つけ顎の下を撫でると気に食わなかったのか爪を立てられる。しかし年寄りの為か跡に残るような力は無い。なかなか利口だなと背中を撫でると毛が抜けて行く。後ろから見知らぬ女性が現れ「可愛いですよね。」と猫を撫で始める。「そうですね。この無愛想な感じが良いですね。結構太ってますよね。この猫は。」「茶トラの猫って太りやすいらしいんですよ。」「へぇ。」差し障りの無い会話を打ち切りその場を後にする。女性との会話より猫を愛でたいだけだった。何より好みの女性で無かった事が残念でならない。

満員電車の中では中年男性の耳の中を凝視する羽目になる事も珍しく無い。飛び出した耳毛、産毛、耳垢、胃から吐き出される発酵臭。

平野啓一郎のマチネの終わりにの連載を読む。イラク戦争の取材から帰国後、PTSDを負った女性が医師に尋ねる。「過去は変えられる、という事ですか?」医師は「そう、あなた自身の今後の生活によって。良い表現ですね。」と応える。

表情一つで何もかも変わってしまう。ただ言葉さえ交わせれば済む話で、下手な考え休むに似たりだと思う。

古本屋でアルカジー&ボリス=ストルガツキーの神様はつらいが所収された世界SF全集第24巻を手に入れる。この上無く嬉しい。

足元にスーパーボールが転がって来た。拾い上げてみるものの、人混みで子どもの姿が見えない。隣の男性と思わず目を合わせ苦笑いをする。電車が駅に着くと座席に座る親子が見える。隣に立っていた男性が渡してくれるという。スーパーボールは小さな持ち主の元に戻ったのだった。

ジムのモニターを眺めていると芥川賞を受賞したお笑い芸人の祖父に関するテレビ番組がやっていた。特段現状の芥川賞に興味は無いのだが、力ある新人作家が多くの人に知られるきっかけにはなっており、それだけでも有用なのでは無いかと思う。さて、番組で祖父の足取りが追われるなか、自らの祖父について少し考えた。両親から話を聞けば、物語は第二次世界大戦後から始まる。父の両親は満州から日本に戻り、母の父はシベリア抑留の後、日本に戻った。最近、ある新聞記事の特集を読んだところ、両親の実家がある山形県満州に多くの人を送り出そうという運動があったそうである。おそらく祖父母はそういった世の中の流れに身を投じた人々だったのだ。チャンネルを変えるとテレビ東京でエイリアンVSプレデターが放映中だった。改めて観るまでも無いとチェンネルを変えた。

日中の陽射しが肌を焼く。買い物に出掛けると夏休みを謳歌する十代の子どもたちが目に付く。存分に楽しめば良いと思う。

散歩がてら買い物に出掛ける。西の空から雨雲が広がり陽射しは弱い。おそらく西では雨が降っているのだろう。公園のトラックは解放されてがらんどう、ホースで水を撒く男性を上半身裸である。川沿いの公園では猫が身体を伸ばして横になっている。

アルカジー&ストルガツキー兄弟のそろそろ登れカタツムリを読み終える。日本文学研究者だったアルカジーは小林一茶の俳句から題名を採用したそうである。

ネット上で読めるワンパンマンとしんそつ七不思議という漫画を読んだのだが面白かった。その他にもサチコと神ねこ様という四コマ漫画逐次読んでいる。こうやって思い返すと生産性が全く無いが面白おかしく毎日過ごしているのだなと思う。

陽が落ちるにはまだ早かったが散歩に出た。昨日とは違い雲も無く陽射しが強かった。公園を横断し川沿いの遊歩道に出向くと、体操服を着た肌の焼けた十代の男女が横を通り過ぎて行く。色々な事が思い出されて来る。遠くから聞こえてくる笑い声、誰も居ない運動場、静寂に包まれた教室。疎外感とさえ言えたかもしれない肌身に残った感覚が、今となっては郷愁を誘うのだから適当なものだと思う。久しぶりに歩く川沿いの堀と木々に無数の蝉の抜け殻を見つけた。蝉の鳴き声が響くなか、止まり木を探し彷徨う蝉をカラスが捕らえて飛び去った。陽が傾き始めたところ、川沿いのベンチに男女が座り、女性の腕は男性の肩に周り、二人の顔が親しげに重なった。仲が良いのは結構な事だが、この暑さに正気かと思う。