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2015年6月8日~2015年6月14日

雑記(2014.3.11~)

真夜中、コンビニに赴くと赤子を抱えた女性と男性が買い物をしていた。女性は男性を待ってこの時間まで起きていたのだろうか。子どもがいるからこそ、この時間まで起きていたのだろうか?

「覇気が感じられないけど。」「そんなもの無いですよ。」「そもそもこの仕事に覇気が必要なんですか。」

修羅の門第弐門が終わった。今度は修羅の刻の連載が始まるらしい。それは予想の通りだ。そろそろ陸奥園明流の起源が明らかになっても良いと思うのだが、どうだろう。

電車が動かない。アナウンスはイヤフォンに遮られ聴こえない。

雨戸を閉めた網戸越しの路面を濡らす雨音が聞こえる。本を読み進めようとするも眠気に本を置き目を瞑る。

指のささくれを剥く。血が滲む。無造作の処理でいつも後悔している。

性欲の疼きを感じつつ無かった事にする。

駅を出ると空が茜色に染まり美しいと思った。

北の異国。馬車を引く為に飼われているゴリラたちは仕事も無く、柵の中で雪に埋もれている。雪の中から指を突き出し何やら言っているのが伺えた。視界を閉ざす雪と村を眺めながら苦虫を潰す。この閉ざされた世界から子ども四十人を連れて抜け出さなければならない。
春、村の境界の小山を越える。頂上に至ったものの、下る道は無いように思われた。若い女性が最近開かれたであろう道を見つけ子どもたちを先導する事になる。一先ず安堵しながら刈られた枯れ草を足で除ける。

昼休みに平野啓一郎のマチネの終わりにの連載を読むのが日課になった。告白を終え、そのやり方や在り方を仕事と共に省みて意気消沈する主人公がいる。

ゴミ捨てに家を出ると、部屋の前にある室外機の上に猫がいる。俺を気にする事も無く身体を洗っている。

日課になった平野啓一郎のマチネの終わりにの連載を読む。四十歳を迎えた男女の戸惑いを描いており、主人公が若きギタリストの演奏を聴き、その新しさに魅了されていた。

年齢を重ねる度、やらない事は出来なかった事になり、諦念に至り、楽になるのだろうか。それとも後悔になって苦しむ事になるのだろうか。

満員電車に押し込められた。女性が「ぐぎょえ」と悲鳴を挙げて笑いを堪えるのに苦労した。

遊園地からの帰りなのか、母親と共に手を繋いだ小さな娘がキャラクターが象られた風船を楽しそうに揺らしている。

駅を出ると街宣車が横を通った。「米軍基地は芋畑に」どうも他の街宣車を見ると食料自給率を気にしているグループらしい。調べて見ると沖縄にタイモという、水を張った畑で育てる作物があるらしい。全く知らなかった。

何者にもなりたくない。そしてなれない。それでも何か残るのなら、それは認めてやればいい。自らを等身大に引き受けるとはそういう事ではないだろうか。そんな事を思った。

スタニワフ=レフの天の声を読み終えた。これはある科学者の手記の形を取った作品であり、未知とのコンタクトの不可能性の問題がテーマとなっている。

UA × 菊地成孔cure jazz が聴きたくなる。精神的に消耗しているのかもしれない。チェニジアの夜を原曲を知ってから聴くと随分と洗練された演奏になっているのだなと思う。

満員電車の中、ノイズキャンセラのイヤフォンが電池が切れてしまう。こんなに外は煩いのだなと感心しながら駅構内を歩く。

日課となった平野啓一郎のマチネの終わりにを読む。印象に残った文章があったのでそのまま引用する。「孤独というのは、つまりは、この世界への影響力の欠如の意識だった。自分の存在が、他者に対して、まったく影響を持ち得ないということ。持ち得なかったと知ること。――同時代に対する水平的な影響力だけでなく、次の時代への時間的な、垂直的な影響力。それが、他者の存在のどこを探ってみても、見出せないということ。」これほど大層なものなのかと思いつつ、普遍性とはそういうものだろうと思う。

ネットサーフィンをしているとバイオリズムなるもの知る。身体、感情、知性の浮き沈みを描いたグラフを眺めながら、大体生得的なものが多すぎ、結局操作可能なのは物事との関係性だと思った。それすらも何かに託すのなら、最早スピリチュアルであり宗教では無いか。

学校のベランダから窓ガラスに見ると多くの写真が目に入る。客先の人々が楽しそうにカメラに笑顔を向けているものだった。写真を直に見ようと教室に入り、窓の外に向けられた写真を見ていると、見知らぬ客先の総合職の男性が「昔は皆さんと分け隔て無く仕事をしていたのだ」というような事を聞かせてくれた。教室で授業が始まる。若い新任の男性教師は黒板に地球を中心に惑星を描き、天体の運行と、もしそれが少しでもずれていたら我々は誕生しなかったというような事を言った。

曇天から陽が注ぐ。路上の隅に自転車を停めた高校生の男女が「数学が…」等といった事を話している。青春、そんな言葉が思い浮かび苦々しい。

スタニワフ=レムの枯草熱を読み終える。ミステリー風の内容だった為、最後まで集中を切らす事無く読む事が出来た。尚、題名の意味は花粉症だそうだ。

アパート前の一軒家に子どもが集まっている。どうやら車で何処かに出掛けるらしい。

電車が発車するまでの間、女性たちは髪の毛を掬い上げピンク色の口紅を塗り目薬をさす。

ジムのモニターを眺めるも差し当たって面白い番組は無かった。

スタニワフ=レフのソラリスを読み進める。新訳を読んでいるのだが、旧訳を読んだのは何時の事だろう。

湿度が高い為か、匂いが遠くまで届くような気がする。子どもたちが路上で遠く離れたところに大きな声を送りつける。一軒家からは夕飯の支度を始めた家族の会話が聞こえる。独り取り残されているとか、自由であり得るとか、そんな事を考えた。

フリードリヒ=グルダの演奏は自由だ。