一〇年代文化論

さやわか著『一〇年代文化論』を読んだ。
友人から借りたもとい無理矢理渡された本の最後の一冊。

見田宗介が「理想の時代/虚構の時代」と区分、これを参照した大澤真幸は「理想の時代/虚構の時代/不可能性の時代」、更に東浩紀は「「理想の時代/虚構の時代/動物化」と区分、これに対し宇野常寛はゼロ年代後半の諸作品から決断主義からのゆるやかなつながりについて論じた。一方、佐々木敦はこの思想・評論をシーソーゲームとしてゼロ年代を東浩紀の一人勝ちの状況と評価、一〇年代を「天然の時代」になるのでは無いかと予測した*1。そして本書はゼロ年代後半から現在の文化を分析、一〇年代を「残念」の時代と分析する。
さて本書の「残念」とは肯定的な意味合いでの残念-「残念な美人」等の意図-である。話が横道に逸れるが自己受容の考えと関連しており、本書が堅実な点である。残念の時代は長所/短所を共に肯定した上でコンテンツが生成される。コミュニケーションの分断、イデオロギーの対立等を織り込み済みとする態度はどのような表象文化を生み出しているのだろうか。1995年まではコンテンツが力を持っていたものの、その後の情報環境の変化により、mixiニコニコ動画Twitter・LINE等のSNS等のコミュニケーションツールが力を持つようになっている。しかしそんなかコミュニケーションツールの中でボーカロイド等を一つの道具として扱い、自らのコンテンツを相互の文脈で結びつけた新しい形式で作り出す人々が現れているという。

一〇年代文化論 (星海社新書)

一〇年代文化論 (星海社新書)

「ざんね~ん」

*1:ゼロ年代は2000年~2009年、一〇年代は2010年~2019年を指す。