女のいない男たち

村上春樹著『女のいない男たち』を読んだ。
村上春樹の短篇集。読後、印象に残っていたのは、再読するまで題名を忘れてしまっていたが、「木野」という作品だった。なぜ印象残ったのか?おそらく主人公である木野が物語の最後にある事を悟る、そこに切実さを感じたからだろう。ここでは「木野」の内容を追ってみようと思う。

木野は体育大学在学中は陸上部で中距離選手として活躍していた。しかし大学三年生の時、アキレス腱を傷め実業団チームに入る事を諦める。卒業後コーチの勧めでスポーツ用品を販売する会社に就職する。その会社は岡山に本社がある中堅企業で、名前も売れておらず、一流選手と専属契約を結ぶような資本も無いが、損得抜きの良心的な仕事を評価してくれる選手は少なくなかった。木野は営業として全国のスポーツ用品店に少しでも多く商品を置いて貰い、第一線で活躍するアスリートに自社のシューズを履いて貰うよう働いていた。木野は口数も少なく愛想も無かったが、会社の社風があったのか、コーチや選手にも信頼され、やりがいを感じていた。
木野は仕事の都合上、東京に居るより出張に出ている事が多かった。ある時、出張先から一日早く葛西のマンションに戻ると、夫婦がいつも寝ているベッドの上で、妻と会社で一番親しくしている同僚が、裸でベッドに寝ているのを目にしてしまう。寝室のドアを開けると男の上で形の良い乳房を揺らした妻と顔を合わせた。木野は寝室のドアを閉め、一週間分の洗濯物が詰まった旅行バッグを肩に掛け家を出て二度と戻らなかった。翌日会社に退職届を出した。この時、木野は三十九歳、妻は三十五歳、子どもはいなかった。
木野は独身の叔母がいた。叔母は顔立ちが良く、長く付き合った恋人から青山に小さな一軒家を貰い喫茶店を経営していた。しかし六十歳を過ぎて腰を悪くし、今は伊豆高原の温泉付きリゾートマンションに暮らしている。木野が会社を辞める三ヶ月前に店を引き継がないかと声を掛けられていた。木野は叔母に連絡してその店でバーを開きたいと申し出る。木野は貯金の半分を使い、喫茶店の内装をバーに作り変える。店には家から引き取った唯一の趣味であるレコードを置いた。学生時代に六本木のバーでアルバイトをしていた事もあり、大抵のカクテルはつくる事が出来た。
店の名前を「木野」とした。最初の一週間は客が一人も来なかった。木野はレコードを聴き、読みたかった本を読んだ。別れた妻や同僚に対する怒りや恨みはなぜか湧かず、これもまあ仕方ないことだろうと思うようになっており、痛みや怒りや失望や諦観を明瞭に知覚出来無くなっていた。そんな自分の心を繋ぎとめるのが「木野」という小さな酒場になった。人間よりも先に「木野」の居心地の良さを知ったのは灰色の雌の野良猫だった。木野は猫を構わず餌と水をやり小さな出入り口をつくった。猫が良い流れをつくったのか、徐々に客が入るようになり、売上から家賃を払えるようになった。開店して二ヶ月経つと、頭を坊主にした若い男が顔を見せるようになった。ある時、店で喧嘩になりそうになった男二人組を木野が収めようとすると絡まれてしまう。しかしそこで坊主頭の若い男が声を掛け、男二人組を引き受ける。若い坊主頭の男は神の田んぼと書いてカミタと言うと名乗り、男二人を店に連れ出すと十分程して店に戻り、雨で濡れた体を木野から借りたタオルで拭き、ウィスキーを飲み本の続きを読んだ。
その一週間後、木野は客の女と寝た。客の女はいつも同年代の男と来ていた。二人はカウンター席でカクテルかシェリーを飲んだ。長居はせず、木野はセックスの前か後なのだろうと想像した。女は時折掛かっている音楽について木野に話し掛けた。木野は女と関わりたく無いと思っていた。連れの男は女と少しまとまった会話をすると疑念を含んだ眼差しを木野に向けるようになったからだ。木野は自分が嫉妬心やプライドといった暗い部分を刺激するものがあるかもしれないと時々思う事があった。その夜、一人で女はやって来て、ブランデーを注文し、ビリー=ホリデーのレコードを聴き、更に古いレコードを聴いた。木野は男と待ち合わせをしているのだろうと思っていたが、閉店の時刻が来ても男はやって来ない。思い切って女に男は来ないのかと尋ねると彼は遠いところにいて来ない、彼とは別れようと思っている、男とは普通の関係とは言えないと猫を撫でながら言う。そして木野に見て貰いたいものがあると語り、服を脱ぎ背中の傷を見せる。それは火のついた煙草を押し当てられたものだと言う。木野はこの女に深入りしてはならないと思いつつ、木野に抱かれる事を望んだ女の勢いに抗する事が出来ず、またその力を元々持っていない為に、寝泊まりしている店の二階で獣のように何度も交わる。朝起きると女は居らず、女の残した情事の後の体の傷と、黒髪と匂いが枕と布団に残っていた。その後、女は男と二人で何度か店を訪れた。男は木野と女の会話を注意深く観察し、女は男が遠くに行けばまた一人で来ると確信させる目を向けた。
夏の終わりに離婚が成立し、木野は妻と顔を合わせた。二人で話し合って処理しなければならない案件が幾つか有り、妻の代理人によれば彼女は木野と二人だけで直に話し合う事を望んでいた。二人は開店前の店で会う事になった。用件はすぐに片付いた。妻は髪を短くし、表情も明るく首筋と腕についた贅肉が綺麗に落ち、充実した生活を送っていると木野に思わせた。妻は店を褒めたあと沈黙し、木野は心を震わせるものは無いと言いたいのだと推測する。猫が木野の膝の上に乗ってくる。妻はあなたを傷つけた事を謝らなくてはならないと言う。木野は僕もまた人間だから、傷つくことは傷つく。少しかたくさんか、程度まではわからないけどと応える。妻はこんな事になる前に打ち明けるべきだったと言う。木野は結果はどのみち同じだったのだろうと言い、いつから同僚と付き合っていたのだと聴けば、妻はそれは言わない方が良いと思うと応え、木野はそれを認めるしかない。猫が喉を鳴らす。木野は妻の着たワンピースを眺め、その下の裸を想像し、それが自分のものでは無くなった事、あの女の傷跡が妻の肌に重なり、その不吉なイメージを振り払うべく首を振る。すると妻はその動作の意味を誤解し、木野の手に優しく手を重ね、ごめんなさい、本当にごめんさいと謝罪する。
秋が来ると猫が消え、木野は家の周りで一週間の内に蛇を三度も見掛ける事になる。三匹目の蛇は木野に危険な印象を抱かせた。木野は叔母に連絡し近況を伝えた上でこの辺りで蛇を見掛けた事は無いかと尋ねる。叔母は蛇を見掛けた事は無いと応える。普通の事で無いと木野は考え、叔母は地震の前触れかもしれないと応える。木野は蛇は地震は気にするのかと尋ねると、叔母は古代神話の中で蛇は人を良い方向にも悪い方向にも導く両義的な生き物だと語る。そして一番大きくて賢い蛇は、自分が殺される事のないように心臓を別のところに隠すという。蛇を殺そうと思ったら脈打つ心臓を見つけ出し二つに切り裂かなければならないのだと。木野は叔母の博識に感心するとNHKの世界の神話を比較する番組を見たのだという。木野は店を閉め午前二時に眠ろうとする時、店の周りを蛇が取り巻いていると想像するようになる。木野は猫の小さな出入り口に板を打ち付ける。そしてあの女が姿を見せなくなった事に気がつき、恐れと同時に密かに求めている事を両義的だと思う。
ある夜、神田が姿を現す。ビールを飲み、ホワイト・ラベルのダブルを飲み、その間にロールキャベツまで食べた。閉店の時刻になり、最後の客になるのを待つと、こんな事になって残念でならないと木野に言う。木野がこんな事について尋ねると、店を閉めざる得なくなったという。何の事から良く判らない木野が詳細を尋ねると、木野が正しく無い事をしたからでなく、正しい事をしなかったから、多くのものが欠けてしまった、よく考えて欲しい、ここは誰にとっても居心地の良い場所だったと語る。そして木野に長い雨が降り出す前に長い旅行に出て、頻繁に移動し、毎週月曜日と木曜日に何も書かない絵葉書を叔母に出すようにと言う。叔母との関係を木野が尋ねると、彼女に前もって悪い事が起こらないよう目を配っていて欲しいと頼まれたと語る。
木野は神田の話を信用し夜の内に出張の要領で荷物をまとめ、朝には店を出る。どこにも宛が無い為、出張の巡回コースを周る事にする。まず高松のビジネスホテルへ、三日目には二十歳前後の若い女を買うがどこか味気無く性欲の渇きが増すだけだった。木野は神田の言葉を思い出す、正しい事をしなかったから、多くの何かが欠けた。しかしまだ木野は問題を理解出来ていなかった。木野は熊本駅のビジネスホテルに泊まっていた。店にある古風なジャズを聴きたいと思いつつ、窓の向かいの安普請の建物で働く人々眺めていると人々は面白味の無い事務作業をしつつ、時々楽しそうな表情を見せる事に驚く。どうしてそんな愉快な気持ちになれるのか考えた時、理解出来ない大事な秘密が隠されているかのように感じ不安に陥る。木野は自分が制御出来なくなり、現実と結びついていないとどこにもいない男になると思い、神田の言いつけを破り、絵葉書に自分が烏賊のように内蔵まで透けてしまいそうだと記しポストに投函してしまう。
木野が目を覚ますと枕元のディジタル時計は午前2持15分を表示していた。誰かが部屋のドアをノックしている。誰かは木野がドアのノックに気がついており、木野がドアを内側から開ける事を望んでいると判る。木野はその訪問こそ自分が強く望んでいたものであり、恐れていた事を悟る。両義的であるのは両極の中間に空洞を抱え込む事なのだと。妻の質問に傷つくことには傷つくと応えたものの、実は傷つくべき時に十分に傷つかなかったのだと木野は認める。その結果、真実と正面から向かい合う事を回避し、中身の無い虚ろな心を抱き続け、蛇はその場所に心臓を隠そうとしているのだと。「誰にとっても」居心地の良い場所の意味を木野は理解した。木野は布団を被り耳を塞ぐ。気がつくとノックは止んでいた。しかし木野は簡単に諦めるはずが無いと考える。そして予想通り、ノックは窓ガラスを叩く音に変わる。叩き方は変わらない。今ここで布団から顔を出せば窓ガラスの向こうに何が見えるか木野に予想が出来た。しかしそれを目にする訳にはいかないと木野は思う。どれほど虚ろな心でも、俺の心であり、人々の温もりが残されている。ふと木野は店の前庭にある柳の木を思い出し、神田が結びついているかもしれないと思う。柳の木を思い返した後、灰色の雌猫、過酷な練習に取り組む中距離ランナーの姿、ベン=ウェブスターの吹くマイ・ロマンスの美しいソロを思い出し、ワンピースを着た妻が幸せになる事を祈る。木野は忘れる事だけでなく、赦す事を覚えてなくてはならないと思う。窓ガラスはまだ叩かれている。目を背けず、私をまっすぐ見なさい。これはお前の心の姿なのだから。誰かが耳許で囁く。初夏の風を受け柳の木の枝が柔らかく揺れる。木野の内奥にある暗い小さな一室では、誰かの温かい手が彼の手に向けて伸ばされ重ねられようとしていた。木野はその手の温もりと厚さを思いつつ、それは長い間忘れていたもので、自分はとても深く傷ついていると気がつき、涙を流す。

改めて概要を書き起こしながら、中距離ランナーがアルバイトで六本木のバーでカクテルの作り方を覚える時間があったのかと思ったが怪我をした後ならどうにかなるものだとして置く。
夫婦で使っているベッドの上で騎乗位をしている夫なり妻を見れば相当に堪える、とてもじゃないが正気でいられそうに無い。「うなぎ」という映画で自宅で情事に耽る妻を殺害したのは夫だった。そもそも夫婦が使っているベッドで情事に耽るという心境が理解し難い。浮気等して欲しくは無いがせめてホテルでして欲しい。しかしそう考えれば、あなたを傷つけたく無いという妻は、全てを夫に伝えたい、どちらにせよ傷つけるのだからと思っていたのでは無いか。そもそも物事は最悪の形でしか伝えられないという事がままある。
物事が宙に浮いてしまう。宙に浮くというのだからいずれ落ちてくる。それは頭の真芯に落ちてくる事もあれば、指や足を掠めてしまった為に思いの外の痛みに悲鳴を上げたり、難無く受け取る事もある。どちらにしても宙に浮いている間、視界に外れているにも関わらずどこかでそれは意識されている。
「自分は傷ついている」と話した時、そんなものは程度が知れると思われるのが常である。心の傷とは自分、もしくは他人が気がつく必要がある。慣習的な傷では無く、唯の傷にである。そこに徴候や類推が無ければ、無かった事にされ、見過ごされ、人は知れずに土足で心に踏み入ってしまう。
傷とは何だろうか。省みようと自分の心の内奥を覗いた時、苦虫を潰したような顔を浮かべている事に気がつく。思わず声を挙げるのは、声でそれを掻き消したいからだ。人は傷を真正面から捉えれらないように出来ており、普段それをする事はなかなか出来ていない。自らに傷がついており、それを認識した自己は、傷とその傷を認識した事によって、二重に傷つく。傷がある事を判りつつ、傷を認識しないでいれば、その意識の矛盾を土台に物事が形成され何れ崩落するのを待つだけになる。

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