透明な迷宮

平野啓一郎著『透明な迷宮』を読んだ。
分人主義三部作「決壊」、「ドーン」、「かたちだけの愛」。そして「空白を満たしなさい」に続く平野啓一郎の短篇集*1。本書は著者曰く「日常を束の間、忘れさせてくれるような美しい物語に思いを馳せていた。「ページをどんどん捲りたくなる」小説ではなく、「ページを捲らずにいつまでも留まっていたくなる小説」になる。その試みは成功しているようで、本記事を書くに辺り再読する事が出来、かつそこから考える事は多かった。ここでは各作品の概要を追う。尚、著者は現在、毎日新聞にて「マチネの終わりに」の連載を開始しており、ネット上での作品の公開やアーティストとのコラボレーションを予定しているという。

  • 消えた蜜蜂

「僕」はまだネットが復旧する前、山陰地方のとある小さな村に体調の都合で逗留していた。そこで郵便配達員である「K」に出会う。「K」は養蜂農家の次男坊であり、跡は長男が継いでいた。しかし突然巣箱から蜂が消え、長男は近隣農家の農薬の影響を疑い訴訟を起こしたものの、裁判で負けて村を出て行ってしまっていた。「K」は働き初めてすぐ両親が他界しており独りで暮らしていた。ある時、村人は「K」に筆跡模写という特殊な能力がある事に気がつく。そして「K」は村人の相続訴訟に巻き込まれる。そして「K」自身もその特殊な能力を使って村人の葉書を自宅に蓄積、模写した葉書を投函していた事実が発覚する。「K」は手書きの官製葉書のみ筆写しており、「K」独自の検閲、「悪」だとか「毒」だとかいった否定的な言葉が削除され、最近では「偶然」、「花」、「伝わる」だとかも削除していたという。

読み直してみると葉書と蜂がどうやら繋がりを持っているようにも見える。蜂が蜜を集め巣箱に戻るように、「K」もまた村人の葉書を集める事によって何かを蓄積していたのでは。

  • ハワイに捜しに来た男

日本人の男がハワイに人捜しに来ている。依頼人の捜し人はこの日本人と瓜二つらしい。捜し始めて二ヶ月が経つも何も進展しない。あるバーで出会った女性は「また会えてうれしいわ」と話す。翌朝女性は「存在しない人間を捜してるのよ。」と忠告する。女性を追い返すものの、日本人の男は目的も、自分が誰なのかも判らなくなりつつあった。

ある客の女性が去年長期休暇を利用して二度ハワイに行った。お陰でハワイの土産である菓子を二度食べる事が出来た。彼女が使う付箋はハワイ版の色黒ハロー・キティになり、それを微笑ましく思った。そして年明け彼女は退職した。退職理由はアメリカに語学留学する為らしいと人づてに聞いた。
観光とは非日常であり、自ら求めるものである。そして偶然遭遇してしまう非日常とは観光になり得ず、何か傷跡をつけていく。そんな事を考えている。

  • 透明な迷宮

貿易会社に勤務している岡田は仕事でハンガリーはブダペストを訪れる。観光中に喫茶店で日本人のミサに出会う。彼女は東日本大震災以降、仕事を辞めヨーロッパを転々としているという。岡田は彼女に抗し難い魅力を感じる。一方、ミサと共に同棲しているというフィデリカは岡田とミサの出会いを悲痛な眼差しで見つめる。フィデリカは岡田を自宅に誘うがミサはこれを拒絶、フィデリカはある館に二人を招く。そこでは幾人かが立食パーティーを楽しんでいた。しかし食事後、岡田とミサは人々と共に裸にされ監禁されてしまう。館主と仮面を被った男女は彼らにこの場で「愛し合え」と命じる。抵抗を試みるも失敗し、絶望した人々は彼らの命に従う。人々が事を為した後、最後に岡田とミサは日本的に愛し合えと命じられ、岡田は全く不能になった状態をミサに助けられ為す。解放された二人は共に日本に帰る事を約束するが、ミサは空港に現れない。岡田はミサに裏切られたと思い、同時に彼女を求めて止まない気持ちと監禁された事を思い出し苦悩する。しかしある時、日本に帰国したというミサと出会い、共に過ごすようになる。しかし岡田は交わる度にあの夜の出来事を思い出してしまう。するとミサは二人の行為をビデオで撮影する事を提案する。行為後、そのビデオを二人で見ながら見知らぬ自分を見掛け、あの夜の出来事が上書きされていくと岡田は感じる。その後、またミサは消えてしまう。再度岡田を尋ねたのは二人のミサ、彼女たちは双子、ブダペストで共に過ごしたのは美里、日本で共に過ごしたのは美咲であるという。美里はあの出来事を思い出してしまうので岡田とは付き合えないと語り、美咲は例えあの出来事が無くても岡田と愛し合えると語る。その後、岡田の元を尋ねた美咲とビデオを眺める。そして岡田は彼女の首筋から香る匂いに気がつく。その後、美咲の提案で行為を撮影してダビングして渡し、彼女―美里と別れる。

著者が長年扱って来た「遺伝と環境」の問題と恋愛を絡めた話になるだろう。人は何をきっかけに愛し合うのか、特別なものがあるからなのか、一方誰でも良かったというなか見出す事に意味があるのか。日常生活から鑑みると後者から前者に至ると思うのだが、そういう心理は決断を迫られた時のみ出現する問題のように思う。

  • family affair

寝たきりになっていた元教師の父惣吉の遺品整理の最中、拳銃を見つけた長女登志江と次女ミツ子。ミツ子は遺品から何か相続出来るものがあるかもしれない当てが外れた上、問題に巻き込まれるのを嫌がり、その場を去る。ミツ子のアドバイスを受け、音信不通の不良の兄宏和の娘であり、父惣吉を慕っていた姪の葵に相談する。ミツ子は不良の兄の娘で経営する飲み屋で未成年を働かせて警察に捕まった事のある葵が拳銃の出処と憶測する一方、葵は兄宏和が出処ではと考える。そんな二人の考えを聞かされ何をする訳でもなく拳銃を持て余す登志江。するとフェイスブックで父の死を知った兄宏和が登志江に電話が掛けてくる。一度は拳銃をオモチャだとシラを切った宏和だったが、葵がコロンビア人と同棲していた時、コロンビア人の鞄から抜き取ったものを父に預けたのだという。登志江はそれを葵に話すと激情を露わにし父宏和が偏見を以て嘘を吐いたのだという。全てが面倒になったという葵は登志江と共に関門海峡を渡る連絡船から拳銃を捨てる事にする。用心した二人には全てが自分たちを怪しんでいるように見えるが、何とか拳銃を捨てる事に成功する。そして葵はもう面倒を見る者もいないのだから悠々自適に生活したらいいと語り、登志江はその言葉を、いつもと変わらず、笑っているのかいないのか、どちらともつかない表情で受け止めるのだった。

姉の登志江の人物造形が逸品。年の割に髪は黒々とし肥え太り葬儀の際はひたすら汗を流し普通にしていても笑っているかのような顔をした女性。自分の意見は余り無いようで、周りに振り回されつつ、自分の考えで行動を起こせば失敗する。詰め寄られれば思わず放屁し相手を驚かせる。彼女は日常生活に馴らされてしまった存在と言える。しかし拳銃は、彼女の最後の機会となる変化のきっかけであり、本人も薄々それを感じている。最後の最後、拳銃を強く握りしめているのは、きっかけを逃したく無いという思いと日常生活への未練だろうか。しかし彼女の考えは語られる事なく、笑っているかのか判らない表情を浮かべるだけ。この底の無いようなあるような存在は本書で一番印象が深く不気味であると思う。

  • 火色の琥珀

とある地方で三代続く和菓子屋の倅である「私」。「私」は人に恋愛感情や性的関心を持つ事が子どもの頃から出来ない。しかし小学生の時、燃える秘密基地を見た時、火に欲情と恋愛感情を持つに至る。その後、成人して女性と関係を持つも身体は反応せず、彼女がリラックスするようにと灯したアロマキャンドルの火を見ながら事を為す。その後「私」は女性と別れる。ある時、独り店舗の二階でライターにキャンドル、アルコール・ランプを灯してズボンを下げていると地震に遭遇する。アルコール・ランプの火がセーターに移り火だるまとなり、体表の三十パーセントにも及ぶ火傷を追う。「私」は病院で湿潤療法と呼ばれる治療を受け、ほとんど昔と変わらず生活が出来るようになる。「私」は火とは既に結ばれ、また結ばれる事を恐れつつ夢見る関係になり、他方世間では火傷の大怪我を克服して人生に前向きに生きている人と見做されるようになったという。

本書で一番語る事の少ない作品。「恋愛に性欲は十分条件では無いが必要条件である。」等と簡単に言われるとそういうものかと思う。火に欲情し、しかもその種類にもこだわりがあるのは、別段人が人に興味を持つ事と変わらず、人が人に興味を持つ時、それはフェティシズム的な、者では無く物として見ている側面があると考える。

  • Re:依田氏からの依頼

東日本大震災から丁度二年が経った頃、小説家の大野は演劇関係者Tから「依田氏からの依頼」というメールを受け取る。依田は劇作家であり、三島由紀夫の「我が友ヒットラー」へのオマージュとして、三島由紀夫とエルンスト=ユンガーの題材にした戯曲「反作用」を発表しており、若くして三島由紀夫好きを公言していた大野と対談した事が過去にあった。Tと面会すると依田の妻である未知恵夫人を紹介される。未知恵夫人は夫に起きた出来事と、依田からの依頼だとして、依田から聴き取ったメモと音声を渡し小説にして欲しいと語る。大野は未知恵夫人の話を疑いながらメモと音声から「Re:依田氏からの依頼」という作品を書き上げる。
その作品ではまず、依田がフランス公演で三島由紀夫の「サド公爵夫人」を上演するも失敗した事、被災地を見て回った事、舞台女優であり恋人でもある涼子について語られ、その公演から帰国後、何かに違和感を感じながらも、白タクに乗り高速道路を走行中、涼子はシートベルトを外し芝居掛かったまま依田の膝の上に乗り、ブラジャーを外し、乳房を露わにした―運転手は増悪に駆られた形相で一六〇キロのスピードを出し追突事故を起こす。涼子と運転手は死に依田は生き残る。
入院中の依田のもとに、涼子の両親と姉が訪問し、両親は軽侮の念を依田に向けるも、姉は「もういいよ、こんな人。」と唾棄するように言い、依田はその台詞めいた言葉に涼子を思い出す。依田は退院後、新国立劇場で再演される「反作用」の準備をしていたが、帰国後から進んでいた違和感―事物の急速な進行と遅滞が起き、演出もままならず、俳優からも見放されてしまう。長期休養に入ると一日が一時間で終わるという急速な進行の後、時間がひたすら遅くなる一方となる。最早普通の生活のままならなくなった依田はマンションに引き籠もる。そして涼子の一周忌が近づき、自室から見える公園の桜が心を捉える。そして公園に出向きベンチの上で桜を眺めていると涼子の姉と出会う。姉は依田が涼子の霊に取り憑かれていると聞き尋ねて来たのだという。その後、依田は彼女に助けを求める。もう一度やって来た涼子の一周忌、依田は姉に成田空港に連れて行ってもらい白タクに乗りながら涼子の事を想うのだった。
大野はまとめた原稿をTと未知恵夫人に送り、再度面会する。大野はTにメモと音声は依田が助けを求めているのでは無いかと尋ねる。Tは未知恵夫人が居なければ依田は生活出来ないと言い、未知恵夫人の真意は涼子さんに対する復讐であると語る。その後、未知恵夫人と合流する。大野は小説の内容に未知恵夫人は腹を立てていると考えるが、未知恵はこのまま発表して欲しいと語る。大野は原稿を発表する意図を尋ねると意図は無く依田の為になりたいだけだと語る。更に大野の質問に応え、依田には既に戯曲を書ける状態では無い事、実は今日依田が車の中で待っている事を告げる。大野は駐車場に案内され依田と再会する。大野はあれで良かったのかと尋ねると「ええ、ありがとう。」と依田は言う。大野は更にこの一、二分のやりとりはどれくらいに感じられているのかと尋ねると「二時間くらいです。」と依田は応えるのだった。

上記に本書の概要を書いてみたものの、大野が書いた作品中の依田の思索が主なものであり、それこそが読みどころとなっている事を注意しておきたい。参考文献に現象学関連の書籍が挙がっている*2。依田に起きた出来事は想像を絶するが*3、東日本大震災の後、何かが変わってしまったという感覚は、何も変わらなかったという感覚と両立して、皆が感じている事では無いだろうか。そして著者は、例えば津波が起きた時その場から逃げようとした人々と、動き出さない電車をただ待っていた人々とでは圧倒的に異なる「時間」に着目したのだ。実は価値観だとかそんなものでは無く、生きているという感覚がもう異なっているとしたら?そう考えた時、その間を埋めるものは何だろうかと途方に暮れてしまうが、現象学であれば共に時間を過ごすという解答を用意しているのだろう。

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*1:事実上、「空白を満たしなさい」を含めて分人主義四部作になる。

*2:小野紀明著「現象学と政治」

*3:「ジョジョの奇妙な冒険」に於けるスタンド「ゴールド・エクスペリエンス」「メイド・イン・ヘヴン」を想像してしまう。