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2014年10月29日

窓越しに朝の冷気を感じる。スマートフォンを手許に手繰り寄せ、何と無くタイムラインを眺める。目的の無い行為はどんなものでも取り留めなく終わる。

黒いランドセルを背負った女の子が足早に進む。ランドセルには紫色のカバーが付けられている。今時はランドセルの色は問題にならないらしい。そもそもランドセルは未だに使うものなのだろうか?

公園のコートで学生が準備運動を始めた。これからフットサルを始めるのだ。ベンチにはいつも項垂れて座るイヤフォンをした男性。この男性が精神的に参っているのか、音楽に集中しているのか、英語のリスニングをしているのかは判らない。しかしその姿から普通読み取るのは疲労だ。学生たちが準備運動を終えボール回しを始めた。

隣席に座る同僚が電話を切ったのち嘆息して喫煙所に向かった。

定時になり帰り支度をしていると電話が鳴り受話器を取る。折返しの連絡をしていた件だった。慌てて同僚からボールペンを借りてメモを取る。

目の前に座る濃い顔の男性が表紙にHaruki Murakamiと書かれたペーパーバックを読んでいる。題名は英語でもドイツ語でもフランス語でも無く、見当がつかない。南米系の顔立ちかなと思いつつスマートフォンに目視出来た題名を入力する。Nel segno della pecora 羊をめぐる冒険、イタリア語だった。

ここ最近西の低い空に三日月が浮かんでおり綺麗だなと思いつつすぐに忘れてしまっていた。少し南寄りに見えた今日の三日月は肥え始めていた。

帰りにスーパーに寄り平野レミのレシピの材料を買う。サワークリームを探すの手間取り、バジルの葉は無かった為、バジルの粉を代わりにした。牛肉をさっと茹でるのだが、脂が溶けた湯を汗臭く感じる。またバジルの葉が無いため彩りに欠ける。味付けはレシピ通りにしたつもりだが、薄味で素材の味や風味を楽しむものという印象を受けた。平野レミに対して簡単で美味しければ問題ないというスタンスだと勝手に思い込んでいたが、牛肉の脂を落とす作業や塩を控えたレシピからいって、それなりの考えがある事が判る。一手間を惜しまない姿勢には、育ちの良さとか社会階級の高さといった余裕を感じ取れる。少し斜に構え過ぎなのかもしれないが、精神的な、人の事を考える余白を設けるには日頃からの鍛錬が必要なのだ。

布団に入り、如何に将来というものを考えて来なかったのかという思いが湧く。そもそも将来を考える事が無駄な事だとおなざりにして来たのだ。自分の中に生まれた少しの希望や指針に目を背けず肯定する事が出来れば今は違ったのだろうか?