2014年7月15日

bowieヴォーカルの氷室京介がライブ活動停止というニュースに接し、マリオネットが収録されたサイコパスなるアルバムを聴いている。小難しい内容かと思ったが、思いのほかわかりやすい。

曇天、涼しい朝だった。シャワーを浴び着替える。汗はかかない。鞄に処方箋とタオルを放り込む。俺の身体は確実に恒常性を失っている。求められているのはひたすら排出する事である。

朝から男女の取り合わせが目に付く。キャリーカーに手を掛ける女性とその横の男性はつまらない顔をしている。夫婦とは俺の経験上、いつもつまらない顔をしているものだが、その後ろに子どもが二、三人追いかけているのはよくある話だ。稀にそうでは無い夫婦を見掛ける事もあるが、それは不断の努力であろう等と考える。

新入社員と共に客先へ向かう。「大きい仕事がしたいというか、色々経験したいじゃないですか」と言う。「状況による」と答える。中途半端な経験は沢山してきた自負はあるものの、それが形になるのはこれからな様な気がする等と考える。経験というものに対する信頼はあるものの、実際言葉にしてみると、とても頼りなく思えてくる。というより経験を言葉にして語る時、それはそれは机上の空論であって実際にやって見せろという事であろうか?

電車の遅延。やっと到着した電車も満員御礼。何だか嫌になって電車を見送る。俺が物語の主人公ならここで何かが始まるのかもしれない。しかし、何も起きない。サッサっと電車に乗っておけば良かったと思う事になる。

客先の土産がマカダミアナッツだった。俺はハワイに行く事は今後ないかもしれない。そんな事を考え、何だか泣けてくるのだった。

混みに混んだ電車をまた見送った。もう電車に乗る気すらしない。

お土産を買うという発想が無かった。山梨に行ったらお土産を買おう。浴衣の女性が視界に入る。何処かで祭があったのだろう。