2014年7月6日

午前五時半起床。日曜日の始まりは遅くていい。午前七時、洗濯し部屋に掃除機を掛ける。今日は熊谷に住む友人を訪ねる予定になっている。洗濯物を干し、貸す予定になっている本を鞄に入れる。天気は良いが蒸し暑い。

老婆に対応する女性駅員の耳許で光るイヤリング。肩、へそ、大腿部を露わに、化粧を施す女性、子どもを連れた親はぼんやりと子どもの声に耳を傾ける。百貨店の開店を待つ人々を横目に改札を抜ける。休日の駅構内を歩く人の遅さは、仕事が人を変えている事の証左である。苛つきながら人混みを歩き、電車を待つ。

池袋から赤羽の間、京浜東北線の車輌を追い抜く。窓から視線を手前に引けば女性の寝顔がある。茶髪のショートカット、切れ長の閉じられた瞼と口、頭は窓に凭れ柱に支えられている。髪が揺れ耳が露わになる。胸元に開いたネックレスが肌と共に陽を弾く。寝入りのなかに埋まる気持ち良さ。更に手前に視線を引けば開いた本の文字が並ぶ。加藤典洋「さようなら、ゴジラたち」。ゴジラを扱ったものだけ読めば良かったが、貧乏性もあり、戦後の日本、憲法についての文章を読む事になっている。この著者を読むのは初めてではなく、彼の批評は自著「敗戦後論」に繋がるのだと知る。

電車の窓が川沿いの風景を映し出す。どうやら熊谷に入ったらしい。二三年前は公私共に熊谷によく行ったものだった。朧げな風景が外の風景と重なっていく。駅前で友人と落ち合い中華屋に入る。友人が昔家族旅行から戻った際、夕食を取った場所だという。回鍋肉を頼む。トイレに行く為、席を立つと店員女性の香水の匂いが鼻を掠める。注文が来るまで暫しの雑談。今日の熊谷はまだ暑くないらしい。空を見れば曇天、商店街の二階に干された白いシーツが揺れている。

友人の家まで寄り道をしながら歩く。駅前の銅像は平家物語に登場する武将だという。坂東武者、つまり関東の芋侍。貴族化した京都の雅な侍を瀬戸内海の海に屠ったのだ。駅前の繁華街を昼の為、人の姿は無い。流れる小川、一九四五年八月十四日、終戦前日熊谷を空襲、逃げ惑う人々はこの川に飛び込むも沸騰した流水に命を落としたのだと言う。その為、この川には夏、灯籠が流されるのだとも。たかだか一日が人の生死を決めたのだ。コミュニティ広場と看板が立った敷地の横には県有地の看板が並ぶ。本来箱物が建つ予定だったらしいが現在は祭に使われるスペースだ。熊谷の祇園祭、うちわ祭というらしい。今はその祭に向けて準備がされている。神社の裏には祭の山車を閉まった巨大な蔵があり、大きな扉の上にボールの跡が幾つか残っている。

シャッター商店街を抜け友人の家に着く。部屋の壁に掛かる色紙や写真、勉強机が友人の生の軌跡だと思えば感慨深い。それは過去でしか無い、しかし自らのアイデンティティーとはこういった物が深く関与しているかもしれないと思う。

シドニアの騎士を眺めた後、友人と共に近所をぶらつく。図書館に残された人文学系の本棚を眺める。出入口で組まれた特集は地獄と浄土といった物でなかなか笑える。中央公園で写真を撮って貰うが、撮る方も撮られる方もどうすれば良いかわからない。適当に戯けてみるが、それはそれで馬鹿らしい。不慣れな事はするもので無い。公園を出て道路に出ると一本の長い道。ロードサイド文化花開く通り道で目眩に襲われる。

友人の家を出て駅まで道のりを歩く。友人の家でも聴こえていた祭囃子の演奏が近づいてくる。友人が通っているという美容室を通り抜け、繁華街を抜ける。北口前に白い煙が上がっている。どうやらミストらしい。

電車の中は用事を済ました人々の汗の匂いが漂う。山手線の車輌が並走する。赤ん坊を抱いた母親、若い女性の集団から声が挙がる。見上げれば上向きのまつ毛の女性とその母親の会話が続いている。

友人に撮って貰った満面の笑みを浮かべた写真をSNSに浮かべ独り爆笑している。自分の笑い顏は美しいとは思えないが、まじまじと眺めると潔いのではないかと思えてくる。