2014年6月30日

二度寝やらを繰り返しスマートフォンを起動すると午前七時二十分過ぎ。遅刻しかねない。シャワーを浴び、着替え、自宅を出る。空は曇天、傘を忘れない。

目の前を歩くスーツの女性。パンツの裾が余り、路面をかする。肩周りが開いたブラウス、右肩の背中に浮いたほくろ。満員電車に乗り込めば目の前に夫婦がいる。女性は捲られた男性の裾を静かに掴んで窓の方に顔を向ける。

昼食、本屋へ寄り平野啓一郎村上春樹の短編集も買う。レジにて「カバーをお掛けしますか?」と問われ「一冊だけお願い出来ますか?」と答えると村上春樹の短編集がカバーに包まれた。手元にあった本を包んだだけなのだろうが、こんな事が何だか面白い。

帰りに忘れていた加藤典洋「さようなら、ゴジラたち」を買う。

河本英夫「〈わたし〉の哲学 オートポイエーシス入門」より引用。「こうした場面で産物や作品の意味合いが変わってくる。プロセスの継続から見れば、産物や作品はプロセスの外に排出されるのだから、それは糞のようなものである。たとえば真珠貝のなかに蓄積してくる真珠が、プロセスから排出されたものなら、それは糞である。それなりの大きな糞を集めてつなぎ胸にかけている女性や、大きめの糞を買い入れて両耳から垂らしている女性がいるが、糞にも人間の眼には美しく見えるものがあるということであって、糞であることには違いがない。」今日一番笑ったが俺が哲学と無縁な人間である事は明らかだ。