2014年4月13日

七時に起きる。雨戸を開け部屋に陽を入れる。夜に干したジーンズに触れる。冷たい、しかし乾いている。コタツを仕舞おう。そう思い、カーペットを剥がしカバーを外す。カーテンも洗ってしまえ、洗濯機に放り込み。部屋に掃除機を掛け、物干し竿を雑巾で吹き、洗濯物を乾かしていく。枯れ草の上で猫が日向ぼっこ。今日は気持ちの良い天気だ。あらかた洗濯を終えシャワーを浴び自宅を出る。TSUTAYAでビデオでも借りよう。目の前をコーギーを連れた若い男女。皆春の陽気を待っていたとばかり淡い色で着飾る。シャツと薄いカーディガンを羽織って家を出たが全く問題無い。ロータスの白いスポーツカーが通り過ぎる。コーギーに触れる少女は笑顔で母の顔を仰ぐ。眩しい陽射しに目を細める。吉野家により辛旨カレーを注文、割引券を持っていなかったら寄らなかっただろう。おそらく自炊するよりファストフードで食事を取った方が安上がりかもしれない。TSUTAYAゴジラファイナルウォーズとノーカントリーを借りる。いつも使わない道を進むとミニシアターの体裁の建物を発見する。こんなところに映画館があっただろうか?自宅にDVDを置き散歩に出る。こんなに素晴らしい陽気にも関わらずシャッフル再生で流れるのはキング・クリムゾンのラークズタンギューインアスピック、太陽と戦慄、パートは何番目だ?小音で神経質な世界が立ち上がる。

小さな神社の屋根が陽光を反射する。公園を通り更に神社へ。公園にはクラブ活動のサッカー少年、野球少年たち。小さな赤ん坊を抱えた母親がレジャーシートの上で日向ぼっこをしている。一軒家の植木に花々が咲き彩る。鳥居をくぐり聖域へ。門には天皇の詩がマジックで描かれている。白石を踏みそのまま散歩道へ向かおうとしたところ、弓道場を見つける。こんなところに弓道場があるとは知らなかった。小笠原流の道場、門の掲示板には弓道教室の案内と催しの参加が呼び掛け。煩く無い道場なら弓具を揃えて参加したいところだ。如何せん弓道を一人で始めるに金が掛かり過ぎる。用意するのは弓だけだが現在どの位の重さの弓が引けるかも判らない。いや、用意するものは他にもある。弓道場の利用料、弦等の消耗品…金銭的に無理がある。

支流沿いの遊歩道を歩く。まだ支流沿いの桜は散り切っていない。桜の下では花見、大通り沿いの出店ではたこ焼きや綿あめが売られている。公園では若者たちがサッカーや草野球に興じている。宙を舞う桜の花びらと陽光に遊歩道が包まれる。木々を仰げば高い。この上無く気持ちが良い。帰りにスーパーに寄ると明治リッチビスケッツのバナナ味を見つける。抹茶味は既に食べたので全ての味を制した。結論から言えばストロベリー味が一番美味しい。

ゴジラファイナルウォーズを観る。ミュータントと宇宙人、ゴジラの戦い。筋も何も無く、ひたすらアクションシーンが続く。なぜか脚元からのショットが多い菊川怜水野真紀が艶かしい。小美人ー平成版ではコスモスと称されていたーには長澤まさみ大塚千弘東宝所属の女優たち。長澤まさみゴジラに出演していたとは知らなかった。やたら安い豚肉ヒレに焼き目をつけ野菜と共に蒸す。日曜日の夜はTBSラジオで村上ゆきのスローリビング、菊地成孔の粋な夜電波を聴いていたが、粋な夜電波の時間帯が金曜夜二十四時からになり、日曜日の日課が一つ減った。金曜日の放送は未だ聴いていない。ノーカントリー、二度目の鑑賞。原作と筋は変わらない。しかし何か考えていたのだろうか、はっきりと死が描かれているように感じる。見たいものしか見えていなかったようだ。原作では主人公がヒッチハイクをする少女を諭す。映画では老いぼれた男に主人公が諭される。引き返すべきだ、若いからといって。殺人者は主人公の妻にコイントスを迫る。妻はいやよと応える。見た時から異常だと判った。決めるのはあなたよ。殺人者は表情を変えず、ため息を吐く。

ものを介してしか話していなかったのでは無いかとふと思う。いや、これは当たり前の話だ。人は他人と共通の話題によって意思疎通する。互いに何も共通するものが無ければ話は通じない。他方、共通点が無いという立場を取る事によって共通点に安寧する事無く知りゆく事もあるかもしれない。共通点に寄り掛かり楽をし過ぎている。今更引き返そうとも互いに思えない。一部を知り全てを知ったような気になっている。その一部がものだった訳だ。いやはや全てを知りたい、知ってもらいたいと無意識に欲するものか。余りにも生真面目過ぎる考えだ。大体で良い。そんなところからきっと会話は始まっていたのだから。