血と暴力の国

コーマック=マッカーシー著、黒原敏行訳『血と暴力の国』を読んだ。
原題は「NO COUNTRY FOR OLD MEN」、既に映画化されており、観賞済みである。
原作を手に取った理由を考えると、似たような物語的構造を持った「オンリーゴッド」を観た事、TwitterBase Ball Bearのヴォーカルが原作は文学的であると発言していたのを見掛けた事が挙げられるだろうか。

原作の筋は映画とほとんど変わらない。主人公モスはメキシコ国境で麻薬密売人の取引に失敗した現場から金を持ち逃げする。それを追う殺人者シュガー、更にモスを助けようとする老保安官ベルという構図だ。原作では一章毎に老保安官ベルの語りがある。その語りはアメリカの風潮を嘆く言葉である。訳者によれば「NO COUNTRY FOR OLD MEN」とはアイルランドの詩人・劇作家ウィリアム=バトラー=イェーツの詩『ビザンティウムへの船出』を出典とするものだそうだ。

老保安官の語りのせいだろうか、麻薬と金がもたらす災厄を嘆く物語という印象を受ける。そして老保安官の道徳と殺人者の哲学が並列して語られる。だが二人の考えより俺を引きつけたのはモスの考えだった。

「鞄には百ドル札の札束が縁まで詰まっていた。札束は帯封で留められそれぞれの帯封には一万ドルとスタンプが押してあった。合計の金額は不明だがおおよその見当はついた。しばらく札束を眺めたあとでフラップを閉じ頭を垂れてじっと坐っていた。自分の全生涯が眼の前にあった。これから死ぬまでの陽がのぼり陽が沈む一日一日。そのすべてが鞄の中の重さ四十ボンドほどの紙の束に凝縮されていた。」
コーマック=マッカーシー著、黒原敏行訳 扶桑社ミステリー『血と暴力の国』p25より引用。

モスは札束の入ったアタッシュケースを見てそこに人生が凝縮されていると言う。自分の生を金に換算して見せ持ち逃げするモスこそ、卑しく燻る狡猾で打算的、しかしそこそこ良心も併せ持った人間性の体現である。ベルもシュガーも本当はいない、何も無いのではないか。そんなモスでさえ追手から逃れるためヤケクソで発砲し、知らずに婆さんを殺していた。人はモスのように生き殺し道半ばで死ぬだけなのではないか。そんな考えがなかなか消えそうに無い。


血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)

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