2014年4月12日

六時に起き、二度寝、三度寝、布団から出るのを渋り、夢と目覚めの記憶の混濁に身を任せる。大江麻理子の際どい水着姿、そんな夢に苦笑いしつつ耳栓を外し、スマートフォンで時刻を確認すれば六時頃、七時四十分、ゴミ収集車の音。昨日の内にゴミ出しをしなかった事が悔やまれる。八時十分、シングルマザーの子ども、小学一年生と前園真聖似の男の声。「バイクで行くの?」「そうだよ」、バイクのエンジン音が遠ざかる。十時、雨戸を開けなければきっとまた眠る。見たであろう夢の残滓に意識を遮られつつ身体を起こす。天窓の光、雨戸を開けて入り込む光。牛乳と煙草、洗濯、シャワー。枕を丸洗いしたところ洗濯機が止まる。仕方なく洗濯機から洗物を一部取り出し脱水する。今日、両親が姉の婚約者と初顔合わせをする事を思い出す。その脚で孫に会いに行くのだろう、俺も顔を出した方が良いだろうか。いつも通りジムにでも行こうか、天気も良いので散歩にでも行こうか、腹が減ったので腹ごしらえでもしようか。

母親に連絡してみると姉夫婦の自宅に夫の両親も来るらしい。さすがにきまずいので訪問は遠慮した。また姉の婚約者は細身の男だったらしい。姉の男の趣味がわかるというものだ。

ジムに行くため自宅を出る。植栽の桜は散った。幾分かの薄紅色を纏った葉桜もまた美しい。宇多田ヒカル桜流し」、休養を発表した宇多田ヒカルヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qの主題歌として発表した曲。相対化された価値観がもたらす悲しみ。曲中の誰かは傷つき、それを案じているであろう誰か。そしてその思いは届かないのだという。「誰かの願いが叶うころ」を聴いた時、まだ経験が追いつかなかった。誰かが悲しんでいる「かもしれない」可能性に目を向ける事、想像する事の意味を問う事は難しくなりつつあるかもしれない。そんなものは実際的、現実的では無いのだから。

ジーンズの捲った裾に溜まった塵が室内に落ち足元がざらつく。良い機会だとジーンズを洗濯機に掛ける。色落ちしようが関係無い。既にポケットには穴が空き、縫い目は綻びつつある。学生時代に手に入れたものをよくもまあ何年も履いている。衣類は飽きた時が替え時なのだろう。とっくに飽きているが、まだ使えるという事態が廃棄するタイミングを逃す。

モニターで眺めるプロ野球甲子園球場では阪神対巨人。札幌ドームでは日本ハムファイターズ西武ライオンズ。札幌ドームでの試合を主に眺めていたが大谷という十代で高身長の青年の速球が百五十キロ台をマーク、時たま投げるフォークー打者の目の前で落下する投法。さすがに球種がわからんという態度は良く無いと思い調べたーで打者を撹乱している。速球を投げる様は見ていて気持ちが良い。とはいえ打者を背負う事も多い。野球は奥が深く面白いと思いつつチャンネルを変える。甲子園に映るプロ野球選手が大きく見える。

夕飯を作るためショウガを切っていたところ、親指を包丁で切る。痛みの後、数十秒程待つと血が一筋浮かび、指を伝う。水で指を濯ぎながら久しぶりに負う手傷に何か意味を探すも思いつかなかった、絆創膏を貼り、残りのショウガを切り終える。親指の絆創膏の肌触りを人差し指で確かめる。何度も確かめる。