2014年4月7日

夜、夕方眠ってしまった為かなかなか寝つけなかった。長い夜だった。

朝、静かな朝、夢さえ見なければ爽やかな朝だったろう。俺は駅前の繁華街から出る専用バスに乗り専門学校に通っている。二日目、三月の年度末、バスに人が少ない。皆、授業が無いと思っているのだ。駅を離れ郊外にバスが進むと運転手が会話に割って入ってきた。「俺の時代はスト2だった。」「おじさんのスト2ってスーパーファミコンじゃなくてアーケード版?」「当たり前だ。自分で基板を用意してやっていた。」「バルログだ…」そこからもう一つ夢を見たのだが思い出せない。

花びらが落ち葉桜が枝から垣間見える。桜は散る、春も終わる、次の季節がやってくる。電車に乗り込んできた男女。男が目をこすっていると女が男の目頭に指を伸ばし目ヤニを除いていた。噛んだガムの甘い匂いがマスクの下に広がる。

客先へ向かう。学生を多く見掛ける。皆、我が物顔でたむろしている。伊坂幸太郎「砂漠」は大学生活をオアシスと見立てた作品だった。俺がいる場所が砂漠なのかは判らない。ただオアシスは自ら見繕わなければならないと大学を卒業して二三年を経て知ったのだ。

ピエール=エルメのマカロンは色毎にそれぞれ味が異なっていた。花見の席で複数人で食べたマカロンの味にそれぞれ違う感想を持ったであろう事を想像すると面白い。イギリスから帰国した友人は「日本語が飛び交って聞こえる事が本当に新鮮だ。」と感想を漏らした。面白いのはネットで視聴していたというアニメや漫画の話が通じていた事である。最近視聴した「キルラキル」も全て視聴していたようだ。視覚と聴覚の情報はたとえ離れていてもネットで共有出来るとすれば、触覚、味覚、嗅覚は共有できない。おそらくだが、将来それらは飛浩隆「廃園の天使」シリーズの手法、脳内に擬似的な情報を与えるかたちになるのだろう。

昨日の夜、メークインのジャガイモを茹でて沢山食べた結果なのだろうが腹が張る。何度屁をこいたかわからない。全く以て馬鹿らしい。田中康夫「なんとなく、クリスタル」を電車の中で捲る。聞いてはいたが、見開き左半分が注釈にあてがわれている。苦笑いで本を閉じる。空間現代の蓮沼執太Remixに乗せられた古川日出男の音読、最後にはこちら側に古川日出男が飛び込んできたような錯覚。細野晴臣Hosono House」、日出づる国という言葉が詩に織り込まれている事に当初意外だなという印象をもった。

以前の職場の友人と何年か振りに話をした。相変わらず職場は忙しいらしい。懐かしく、同僚や上司たちの変化に驚いている。また俺が同じ業種で働いていた事を暗に判っていたようだ。電話を取り次いだ事もあったから、当たり前と言えば当たり前の話だが。たかだか四五年、されど四五年だ。