2014年3月19日

ウクライナの政変とロシアとの対立のニュースが否が応でも目に入る。国家とは?平和とは?思い出すのカントの「永遠平和のために」である。

全ての民族が独立し自らの国を持つ事が永遠平和を構築する、とカントは言った。しかし二十一世紀初頭の現在、国の国境線さえ引くこともままならず、第二次世界大戦の戦後処理も事実上解決していない。実際、新たな国家の為の一定の領土を得ることさえままならないだろうし、その民族国家がまともな内政とも限らない。そして移民たちが自らの国家に移動するのに相当数の年月が掛かるだろう。そもそも生活の基盤を移動させる事は困難を含む。果たしてグローバリズムの名の元に分散した人々を国家を求めているのだろうか。もはや国家に求められているのは自分が自分である事の保証だけではないだろうか。

国家に運転免許証のような効果を期待するであれば領土は必要無い。平野啓一郎「ドーン」に於ける無領土国家PLANETのようにネットワークにいつでもどこからでもアクセスを可能にし、その人物を「許可」すれば良い。
物語と国際情勢が次の火薬庫と仮定し続けたのはアフリカ大陸と東欧、イスラエル近隣である。第一次世界大戦でヨーロッパの火薬庫と言われた東欧に注意が向かっている。第一次世界大戦第二次世界大戦から百年、記憶の継承とは可能なのだろうか。認識し想像できる時間とは寿命程度ではないだろうか?三月十一日の地震と事故とは人間の想像出来る範囲の時間では「尺が足りない」事を教えてくれた。しかし百年はどうだろう?天災が起こる期間と比較し百年という短い期間で人災が起こるという、人を低く見積もった、侮りが、頭を過る。

大言壮語に考えながら、鞄の中に財布を探すと見つからない。家に置いてきてしまった事に気がつく。何が百年だ、一日もままならないではないか。この時の為に用意した定期入から千円を取り出しコンビニに入る。財布は家のどこに置いたのだろう。来る途中で落としたとは考えにくい…考えるだけ無駄だろう。家に帰って見れば判る事だ。自分の生活のままならなさと天下国家を同時に語る、自分に違和感を覚える。

花粉に備えてマスクをしている。吐息で湿って発せられるマスクの匂いに耐えられない。客先の女性はマスクをして鼻を啜っている。マスクの匂いにうんざりして外すも目鼻に痒みを感じ早計だったと反省する。

印刷紙に印字された楽譜を捲る男性。耳にイヤフォン。淡い青のスカーフを纏ったリクルートスーツの女性。本質と色、物自体と属性。駅構内でたなびくビニール製の養生シートに水が伝っていく。花粉症の薬の副作用で眠気に襲われる男の虚ろな瞳が赤ら顔に浮かぶ。

自宅に戻り財布を探す。どこにも無い。であれば鞄の中しか探す当てが無い。朝、鞄の中のジッパーを閉じていた事を思い出す。ジッパーを開ける。財布がある。徒労感。