2014年3月11日~2014年3月18日 7

title:金に換えて
subtitle:夢は無し 2014/3/17

目が覚める。月曜日の朝だ。夢は見ていない。無意識と記憶の混濁に囚われる事の無い朝だ。コーヒー牛乳で一服、煙草の煙が室内の空気の流れに立ち上がる。換気扇、引き戸の隙間に漂い、流れていく。シャワーを浴び、スーツに着替える。

友人たちが揃う。あてどない話を続ける。黙って聞いていると遅れた事を怒っているのかと謝罪される。今更怒りの気持ちは無い。怒りを維持しつづけるのは難しい。万物流転と引くまでもなく、感情ほど流れていくものは無い。稀にいつまでも怒り続ける人を見ると皮肉ではなく尊敬している。感情とは個性だ。

目の前に座っている母と息子。母が息子に何かを語りかけている。それをぼんやりとしながら男の子が聞いている。背中に当たる鞄に気がつき振り向くと長身の男性が立っている。いつもと変わらない朝だ。

近況を聞けば、ほぼSNSで投稿されている内容の通りだ。便利な世の中だ。しかし、それであれば会って何を話す事があるのだろう?知らない振りをして近況を話し聴き続けるのだろうか?それとも泣けなしの未来の話でも?

パールジャムが現在も活動を続けていることを知り2013年発表の最新アルバムを聴く。ライトニングボルトと題されたアルバムにファーストアルバムの苦悩や諦念を感じない。この差を説明するのに時間が経ったというだけでは事足りないかもしれない。しかし納得もしてしまうだろう。駅を出たところでアルバムがおわりファーストアルバムの演奏が始まった。曰くエックスジェネレーションの苦悩が。まだこの世代は苦悩しているのだろうか?

「自分の全生涯が眼の前にあった。これから死ぬまでの陽がのぼり陽が沈む一日一日。そのすべてが鞄の中の重さ四十ボンドほどの紙の束に凝縮されていた。」コーマック=マッカーシー「血と暴力の国」。俺の一日はこの一文の容赦無い現実に血を流して終わるのだろう。実際昼の休憩はもう終わろうとしている。レム=コールハース「錯乱のニューヨーク」の解説で磯崎新は最後に言う。「錯乱を迷宮とくれぐれもとり違えないように。」と。

昼食を取る為に喫茶店を出る。生憎入るお店はどこも満員だった。仕方が無いのでホテル街にある中華屋を目指す。以前の仕事場で薦められた店だ。味の良し悪しは判らないがきっと待たされる事は無いだろう。ふらふらと歩いていくのを咎める友人。目的も無く歩いていると思っているのだろう。大抵目的なんて持ち合わせていないが今日は珍しく大丈夫だ。俺は遠くに見える看板を示して言った。
「以前行った事のある中華屋だ。あんな看板があったか忘れたけど。もしかして店が変わっているかも知れないけど。」
「なんだ、目的地があったのか。それならいいけど。」
中華屋に入る。人はいるが満員では無い。中国人の店員に促されて四人席に座る。青椒肉絲定食を頼む。

客先を一人向かうなか考える。男は札束の入ったアタッシュケースを見てそこに人生が凝縮されていたと言う。そう、人間は労働無しに、金無しに生きていけない。一生の労働分の対価が砂漠に所在無さげに落ちていれば…。しかし男の冷静さも驚嘆に値する。自分の人生をあっさりと金に換算してみせた事に。なかなか出来るものでは無いだろう。どこかで生きている事に金に換算出来ないものがあると思っていたいのだ。その実、生きる事を金に換算するしか能がない。
「髪切りましたね。」
「ええ、特に理由ありませんがバッサリ切りました。」
「弊社も髪を切った方が多いですね。」
「そうですか。なんか理由があるんですかね。」
「三月だからですかね。」
「ねえ。」
書類を確認していると常駐している社員に出会う。なるほど、散髪している。
「髪切りましたね。」
「ええ、おかげ様で。」
「忙しいですか?」
「雪の影響でちょっとね。」
「ああ、頑張って下さい。」
気がつく。いちいち自分の人生を金に換算する時間さえも持ち合わせていないのだ。

青椒肉絲定食を食べながら「ご飯大盛り無料」の壁紙を見つける。大盛りが無料ならおかわりも自由にして欲しいと思う。隣に座った友人はちゃんぽん麺を食べながらコークハイを飲んでいる。大した組み合わせだ。目の前に座った友人は定食に手をつけながら「美味いな。」という。そりゃそうだろう。トゲが突き出した革ジャンを着た男性が入店した。繁華街らしい光景だ。男性1人と複数の若い女性がテーブルを囲んでいる。ここはファミレスでは無く中華屋でお勧めはちゃんぽん麺だ。女性が煙草の煙を吐いた。厨房から爺さんと婆さんの掛け合いが聞こえる。手持ち無沙汰の中国人店員はコップの水を気持ち良く仰いだ。

ノートPCに向かいながら書類を処理していく。コピー機に向かう為、椅子から立つと片脚に鈍痛が走る。印刷用紙を取り出せば右手首に張りがある。昨日はしゃぎすぎたせいだろうか。トイレに立ち手を洗いながら顔を上げる。短髪の中に立ち上がる白髪が一本、二本、三本。一年程前から白髪を見つける事が多くなった。白髪に原因はあるのだろうか?慎重に指を運び白髪を引き抜こうとするもつかまえる事が出来ない。

ボーリング。地中を掘り進むボーリングでは無い、十本のピンを倒すボーリングだ。果たして何年振りだろう。以前の職場の本社研修で上司の相手をさせられた時以来、つまり三年振りだ。上司は部下二人に対して本気でプレイする姿を見た時、やはり出世する人物というのはこういう人なのだろうと思ったのだった。
思いきり腕を振れば手首が振れてガーターになる。ただひたすら腕を前に出す事をイメージする。上手くいく。すると欲が出る。失敗が続く。勝負事になると俺は大抵こんな結果になる。我ながら分かり易い。飼い慣らす事、これが未だにもてあそぶ域にしか達しない。

暗闇のボーリング場で飲むドクターペッパーカラオケボックスで飲むホットカフェオレ。ひたすら声を張り続ける。キーを幾ら下げても辛い。友人が印刷されたボーリングのスコアを見て指摘する。
「ガーターが圧倒的に多いね。」
確かにと相槌を打つ。何年も前に聴いた曲たちが下手糞な歌声と共に流れていく。カラオケボックスの個室に来る度、自分の所在の無さを感じるのは俺だけだろうか?

上階からリズムに乗って床を叩かれる。転がるボールに苔は生えないだろうが溝に落ちれば苔まみれでは無いだろうか。