2014年3月11日~2014年3月18日 4

title:カレーバイクにこびりつく
subtitle:パールジャムの諦念 2014/3/14

スマートフォンのアラームが鳴る前に目が覚めた。昔の事がよく夢に出てきた。昨日、中学校の事を思い出したからだろうか?小中学校の同級生とクラス会をするとか、そういったものだったのだが、最後の最後にカレー大会と題名を付けたくなる夢で、カレーバイクなる、大量のカレーを掻き分けて前に進む事が出来るバイクが登場したのには馬鹿らしくて笑ってしまった。

雨に濡れたせいか頭痛がしていたのだが起きると痛みは無い。家を出ると雨は降っていない。駅に向かう人々に紛れて周りを伺う。いつもと変わりない風景が広がっている。

プレザー姿の高校生が電車を降りようとしたが間に合わなかった。閉められた扉を前に笑いながらため息をついている。耳に埋め込まれたイヤフォンから何の音楽が聞こえているのだろう。彼の金曜日の生活を思う。学校に行き、うろ覚えの英語の文法で問題を解き、覚えたての公式を用いて数学の問題を解く。何百年も前の登場人物の心情を察し、その心情の機微の背景を歴史の教科書一頁で済ます。そして何より覚えたてのそれらが、友人との関係や、それぞれの悩みを、すぐさま解消する事は無いのだ。経験が追いつくまでもう少し時間が必要だ。

クラス会の帰り、めかしこんだ女性陣と電車に乗り込んだ。ある駅に着くと、一度会ったことのある、しかし名前が思い出せない、中学時代の女性教師が駅のホームから俺たちを見ていた。
「皆、立派になって」
開いたドアから教師は俺たちの成長に感動しているようだった。同級生たちも偶然の出会いに驚き喜んでいた。教師は電車に乗り込んで来ない。感動の再会は束の間だけ。電車は先に進む。名前も与えらない女性教師との明らかな断絶を思う。

勤務先でクライアント先の社員たちの給料を考えると仕事をやる気が失せる。ここ数年、職場こそ何度か変えたもののクライアント先の業種は変わらなかった。以前であればクライアント先の給料など気にする事は無かったが、というより直接会うという事は少なかったからなのだろう、今の職場ではその仕事振りが「判ってしまう」事、何より今の職場の給料が低い事、この二つが俺をやるせなくさせる。とはいえクライアント先の職を得たいかと問われれば御免こうむる。勝手なものだ。

中学校の校舎で北川景子がウサギの着ぐるみと共に拳銃を乱射している。何人かが死んだろう。彼女たちには悲しみがある、混乱がある。しかし、誰もそれを斟酌する事は出来ない。彼女たちは殺し過ぎたのだ。

熊本県マスコットキャラクターだから「くまもん」だという事に今更、改めて気がついた。ミルクスタンドに置かれた紙パックの熊本産の牛乳に印刷された、開店前の紳士服店のウインドウ、フレッシャーズフェアと題してデザインされた弁当箱。
この波及力、既にキャズムを越えているのだろう。そして忘れ去られる。

電車の揺れと振動の音と共にパールジャムを聴く。村上春樹は「神の子どもたちはみな踊る」の中で、絶望した女性の物語に、その絶望の原因は阪神淡路大震災になるのだろうが、パールジャムを登場させる。私は名前こそ知っていたものの聴いた事は無かった。村上春樹をよく読んでいた友人にパールジャムの評判を尋ねたところ、
「面白くない。」
と答えた。私はこのバンドに対する興味をそこで留めた。

宝くじの三百円の当たりを換金する。三千円を使い三百円の当たり。微笑ましいではないか。宝くじ売り場の女性は無駄なく預かった宝くじの束を数えカウンターに入れた。「三百円」の表示。明細書と宝くじ、三百円を受け取る。

パールジャムグランジニルヴァーナとの関係、Xジェネレーション世代の苦悩を表現した云々。それぞれのリンク先を辿る気力も時間も持ち合わせていない。ファーストアルバムをスマートフォンにダウンロードする。午前六時五十分、通勤中に聴こう。

「人が、パーソナルになり、パーソナルたらせたのは、ウオークマンの発明だ。」
と言ったのは、大学の一般教養で取った日本文学史の担当者だった。大教室で空席を探していると学科説明会で見掛けた長髪の男性を見つけた。後ろの席が空いていたので声を掛ける。いまいち反応が鈍い。日本文学史の講義を受講しようという位なのだからと好きな作家の話を振ってみた。すると村上春樹ならよく読むという。その後彼と親しくなり音楽やファッションに関心がある事を知った。今思えばよくもまぁ適当に声を掛けたものだと思う。

無数の巨大な鍋から零れたカレー。地面にはカレーが満ち溢れている。これでカレー大会は終わりだ。予選でカレーバイクを見せつけた男が言う。
「昨日使ったばかりだからバイクにカレーがこびりついたままだ。」
バイクにこびりついたカレーがこのカレーを除去する事が出来ない事を物語っていた。すると婆さんが大きな鍋片手に現れた。この状況になってもまだカレーをつくる気なのだ。鍋底に残ったカレー、おそらく金沢カレーに具と水分を加える気なのだ。恐るべきカレーに対する執念。俺は婆さんのカレーに対する意志に恐れ慄いていた。