古市憲寿著『誰も戦争を教えてくれなかった』を読んだ。
本書は著者が、主に第二次世界大戦、アジア・太平洋戦争を扱った各国の戦争博物館を巡り、その記憶を遺し方、その意味を検討したものである。各国の戦争博物館を巡る事によって現在に、第二次世界大戦、アジア・太平洋戦争をどのように伝えようとしているのかが判るという訳だ。
その為、本書は戦争博物館を巡る「ダークツーリズム」にもなっている。
本書に結論のようなものは無いが、第二次世界大戦、アジア・太平洋戦争が伝える戦争と、例えばサイバー戦争、民間軍事会社、無人機やロボットが戦争に参加するようになった現在の戦争を比較した内容は興味深い。つまり、過去の戦争を伝えるものの、それは現在の戦争とギャップがあるだろうというのである。これは重要な指摘であり、戦争観そのものの更新が現在に必要である事が判る。そして最終章に描かれる何十年後かの日本と各国の戦争、紛争を描いた様子は、第三次世界大戦を想像するよりよほど生々しい。
また靖国神社の遊就館、沖縄県平和祈念資料館等の政治的な主義主張が違うであろう建物の設計が乃村工藝社なる会社によるものである事も驚かされる*1。戦争博物館の歴史には一つの系譜があるのである。
- 作者: 古市憲寿
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/08/07
- メディア: 単行本
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さて、本書の影響と言う訳では無いが、私は8月5日に靖国神社と遊就館を尋ねた。理由は安易なもので「風立ちぬ」を観た後、遊就館に設置されていると聞いた零戦を観たくなったというだけである。また政治問題にされる靖国神社、遊就館の展示には興味があったのだが、なかなか尋ねるタイミングを逸していたという事もある。
8月5日に尋ねたので、どこかに街宣車が集まっていたり、境内前でそれらしい人がいるのかと思ったがそういう事も無かった*2。敷地内では学生がビデオ撮影をしていたり、参拝客がいるだけだった。靖国神社自体の雰囲気としてはよく整備された場、人工的な、どちらかと言えば歴史が浅い場所なのかなという印象である*3。
遊就館では無料で零戦を観る事が出来た。800円を払えば遊就館を見学出来る*4。写真を取る事は禁止されていたので無い。
実際に見学して思った事は確かに戦争を否定もしていないが、どちらかと言えば客観的な展示に終始しているという事だ。戦争の戦果を謳った展示はあるのだが、結局のところ日本は敗戦を迎えると思えば、そういった展示には空しさを感じたのが正直なところである。また戦死を玉砕と記載していたが、果たして小学生等に玉砕という言葉が伝わるのだろうかと頭を傾げた。
月曜日の昼間という事もあり客層は小さな子供連れの人が多かった。飾られた刀などを観て子どもに「こわいね」と語り、太平洋上の海軍の進路を展示した場所では父親が息子に「調子にのったから負けたんだ」等を談義している。特攻隊員の遺書が展示された場所では母親が「これは遺書と言ってね」と語ろうとするも娘の目は新たなガラスケースに向けられている。私は私で女性の遺影に驚いていたのだが、なるほど軍隊には女性もいたのだなと一人納得し、あくまでこの場が軍属、招集された兵が祀られている場所だと再確認する事になった。
遊就館を出た後、目白通りを散歩がてら歩いていたのだが、偶然、東京大神宮なる神社を見つけ涼みに入った*5。後に知ったのだがこの場所は結婚式も出来、縁結びの場所、パワースポットとして有名だったらしい。平日だというのに年頃の女性がひっきりなしに参拝をしていた。一応、靖国神社で参拝した手前、一日に何度も参拝するのもどうかと思い、日陰でスチームに当たりながら女性を眺めていたのだが、靖国神社で得た空しさやらはどこかに行ってしまっていた。