色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

村上春樹著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。
新作発売と聞き、すぐに読むか迷ったが、さっさと読んでしまう事に決めた。
読んだ感想を言えば、今までの作品の構造やモチーフが一致している点が多くあり、やはり村上春樹は村上春樹なのだなと思う。
とはいえ作品を細かく読み込めば今までの作品との違いも多くあるのだろうと思い、ざっくりとではあるが、本作についての概要と考察をメモとして残す。尚、今回は文芸誌等の書評は読んでおらず、ネット上の書評、わずかながらTwitterで評論家の感想を目にした程度である。



本作は主人公多崎つくるの過去と現在を描きながら進む。

「大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけ考えて生きていた。」村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」p3より引用。

と物語は始まる。「死ぬことだけ考えて生きてきた」理由とは、高校でボランティア活動をきっかけに長く親密に交際していた、名前に色を持つ友人「アカ」「アオ」「クロ」「シロ」の友人から、突然絶縁を言い渡されてしまった事だ。
そして、現在、主人公が仲を深めようとしている木本沙羅は、多崎つくる曰く

「乱れなく調和する共同体」「乱れなく調和する親密な場所」

であった五人組がなぜ多崎つくるを絶縁したのか。そしてなぜ絶縁した理由を一五年以上追求しなかったかと尋ねる。多崎つくるは「忘れてしまったほうがいい」と応える。しかし木本沙羅は、

「それは危険なことよ」「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもたらした歴史は消すことはできない」。沙羅は彼の目をまっすぐ見て言った。「それだけは覚えておいた方がいいわ。歴史は消すことも、作りかえることもできないの。それはあなたという存在を殺すのと同じだから」同掲載書p40より引用。

と言う。そして更に、「いささか言いにくい部分になるの」と断りを入れながら、

「あなたに抱かれているとき、あなたはどこかよそにいるみたいに私には感じられた。抱き合っている私たちからちょっと離れたところに。あなたはとても優しかったし、それは素敵なことだったんだけど。それでも……」「(省略)もし私とあなたがこれからも真剣におつきあいをするなら、そういう何かに間に入ってほしくない。よく正体のわからない何かに。私の言う意味はわかる?」同掲載書p105~より引用。

そして多崎つくるに「乱れなく調和する共同体」から絶縁された理由を、多崎つくるが抱える問題を解決して欲しいという。かくして多崎つくるは、一五年以上「忘れてしまうほうがいい」と考えていた「乱れなく調和する共同体」に向き合い、四人に会う事を決める。
以下、本作に著者の作品で問題になる/なりそうな点をピックアップする*1


  • 舞台は東京・名古屋・フィンランド

主人公が「乱れなく調和する共同体」である五人組として過ごした場所として名古屋市が登場する。そして主人公は「乱れなく調和する共同体」の一人であった女性に会う為、フィンランドに赴く。


  • 「乱れなく調和する共同体」

高校時代に出会い長く親密に交際していた友人たちとの関係を、主人公は「乱れなく調和する共同体」と語る。たまたま本作と同時に「物語 哲学の歴史 - 自分と世界を考えるために (中公新書)」を読んでおり、主人公が中庸的な人物として描かれている事からアリストテレスの名前を思い出した。なぜなら本作には「精神の跳躍」という言葉が登場*2する事から、アリストテレスの中庸の概念―「乱れなく調和する共同体」と、プラトンのイデア論―「精神の跳躍」を相対させていると思ったからだ。しかし、たまたま本作の書評を目にしたところ、鴻巣友季子氏の書評では「乱れなく調和する共同体」を「プラトン的ソウルメイト(片割れ同士のような魂の友)」と説明しており*3、敢えてソクラテス―プラトンの対立を設定する必要は無いと思われる。尚、この「乱れなく調和する共同体」は、隙無き関係性として描かれる。他方、木本沙羅は「そのサークルの完璧性の中に閉じ込められていた。そういう風に考えられない?」と主人公に問う。後述するが、むしろ本作に於けるシステムは、主人公を含めた友人たちが暗黙につくりあげた関係性そのものであり、主人公が絶縁された理由を考えると妥当かなとも思える。


  • 通過儀礼としての主人公の変身

「乱れなく調和する共同体」から絶縁された主人公は「死ぬことだけ考えて生きていた」が、嫉妬に苛まれる夢を見る。その夢とはある女性を強く求める夢だった。しかし夢の中で彼女は肉体と心を分離する事が出来る特別な能力を持っている。そしてどちらか主人公は選ばなければならないという*4
この夢を見た後、主人公の肉体に変化が訪れ、少年の顔から、若い男の顔になる。
このモチーフはおそらく「海辺のカフカ」辺りで出て来たのではないかと思う*5


  • 夢による現実への影響

上述の通り、本作では主人公が夢で体験する出来事が現実に影響を与えている節がある。本作でも「1Q84」のように「主人公が夢の中で「「乱れなく調和する共同体」の女性と裸で交じり合い、膣内に射精する姿が描かれる」*6
しかし、「1Q84」のように夢と現実とのつながり*7があるようにははっきりと描かれていない。本作が夢と現実のつながりを断定しない点によって、「1Q84」のファンタジー性が取り除かれている。同時に、描かれている事で、その関係性を無視する事も出来ない。


  • システムの存在

村上春樹がエルサレム賞受賞時にスピーチした「壁と卵」の比喩に於いて、壁はシステム、卵は我々であるという。そしてシステムは過去の作品にも様々なモチーフとして登場している。本作では、主人公が鉄道駅に対して魅了されている。主人公はこれ自体を「何かまともではない」部分が自分にあるのではないかと考えている。主人公は高校卒業後、駅舎建築の第一人者として知られる教授がいる大学へ進学、大学卒業後は「西関東地域をカバーする鉄道会社の、駅舎を設計監理する部署に勤務」している。
おそらく、主人公は鉄道というシステムに魅了されていると同時にそこに対する違和感のようなものを感じ取っている。しかし本作では、主人公が考え事をしたり物思いに耽る為、東京駅や新宿駅を訪れ、ひたすら電車が人々を掃き出し吸い込むのを眺め続ける様子が描かれており、主人公を抑制するものとして描かれている。一方、上述した通り、その完璧性を疑われていないという点で「乱れなく調和する共同体」こそシステムとして本作では描かれているかもしれない。


  • 精神の跳躍

主人公は、「乱れなく調和する共同体」から絶縁された後、大学で灰田という青年と出会う。彼と主人公は親しくなるが突然、主人公の前から姿を消す。灰田は「自由に思考し続けたい」と希望し「自由にものを考えるというのは、つまるところ自分の肉体を離れるということでもあります。自分の肉体という限定された檻を出て、鎖から解き放たれ、純粋に論理を飛翔させる。論理に自然な生命を与える。それが思考に於ける自由の中核でにあるものです」と語る*8。そして主人公に灰田の父が学生時代、とある田舎の旅館で出会ったジャズ・ピアニスト緑川との対話を語る。そこで語られるのは、死と引き換えに形而上の存在になり、その能力で世の中を直観する事が出来る能力について、だ。この話の直後、主人公はベッドの中で身動きが取れない状況の中、灰田に見守られ、夢の中で「乱れなく調和する共同体」の女性と交わり、なぜか最後に灰田の口の中で射精をする。これが原因となって灰田は主人公の前から姿を消す。夢と現実の関係性がやはり示唆され、そこに精神の跳躍の可能性も加わる。主人公はやはり夢の中で、現実に影響を与える事が出来るのではないかと考えるのが妥当という事になるのだが…。
精神の跳躍は、上述した通りプラトンのイデア論を想起させる*9。自ら形而上学について語るとなると「1Q84」に於けるリトル・ピープル*10ではなく、「海辺のカフカ」に於ける、フェラチオのうまい女子大学院生を呼び出したカーネル・サンダースを思い出す。



  • 女の子の死*11

主人公は、「乱れなく調和する共同体」の友人に会う為に木本沙羅より友人たちの所在を知る事になる。しかし、その友人の一人「シロ」は殺されていた。主人公は他の三人に会う事によってその死と絶縁された真相を知る事になる。彼女の死は、「乱れなく調和する共同体」*12の来るべき崩壊、そして主人公の夢とのつながりによって、レイプされ、最後には殺された可能性も示唆されている*13


  • 父親との関係

主人公の父親は既に亡くなっているが、不動産売買によって成功を収めており、そして主人公にはその不動産の一部であり主人公の下宿先であったマンションを主人公名義で残している。そして何より「作」という名前を主人公に残したエピソードが語られている。概ね、その内容は主人公を脅かす内容ではない。


  • 登場する音楽

本作の題名でもある「巡礼の年」はフランツ=リストによるものだそうだ。「乱れなく調和する共同体」に於いて亡くなってしまう女の子が弾いた曲であり、灰田が主人公の家に残したレコードでもある。その他、エルビス=プレスリーの曲も登場する。


  • 木本沙羅との関係

上述の通り、木本沙羅は主人公の心の問題が解決するまで彼と寝ないという。しかし主人公は物語の途中、偶然にも彼女が他の男性と主人公に見せる事の無い笑顔で歩く姿を見掛けてしまう。主人公を苦しませるも、主人公は彼女を求める。それが苦しい自体だとしても求める事を素晴らしい事だとも語る。



上記の通り、著者の作品で問題になる/なりそうな点をピックアップした。概ねピックアップした内容の長さが関心の対象である。やはり灰田が主人公に語る「父親が遭遇した奇妙な出来事」が非常に興味深い*14

主人公は「乱れなく調和する共同体」の仲間と再会を終える。そして木本沙羅を切実に求め、その素晴らしさと苦しみを噛み締めながら、フィンランドで「乱れなく調和する共同体」の一人の女性に伝えたかった言葉を紡ぐ。それは、木本沙羅が主人公に忠告した言葉と同様でありがらも肯定的なものとなっている。


「すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ」「僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることできる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」同掲載書p370


そういえば表紙がモーリス=ルイスだったので感動した。
折あれば本作については引き続き言及する。



―引用記事―
http://mainichi.jp/feature/news/20130421ddm015070031000c.html
その他作品との関係がクリアで判りやすい。鴻巣友季子氏によれば、雑誌「文學界」にて更に踏み入って謎解きをしているとの事。



色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

*1:列挙事項から抜けている部分が色々ある。「六本目の指」とか

*2:後述

*3:プラトン著「饗宴」における両性具有者の比喩。

*4:この夢が後述する「シロ」「クロ」との関係に影響を与えている可能性がある。

*5:その他の作品にも登場しているのだろうが、パッと思いつかない。

*6:あくまで主人公は受け身なのだが。

*7:「1Q84」に於ける青豆の妊娠。

*8:同掲載書p66

*9:ヘーゲルの弁証法も、か。

*10:本作で比喩としてこびとという表現が登場する。

*11:川田宇一郎著「女の子を殺さないために」は未読。読みたい。

*12:システムとして?

*13:上述した通り、本作ではあくまで夢と現実がはっきり地続きであるとは描かれない。

*14:著者が「精神の跳躍」を、物語の効用として説明していたと思うのだが出典が判らない。おそらく著者にとって物語を読む事=精神の跳躍=生の一回生に触れる、という事なのだと思うのだが。