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『美術にぶるっ!展』

メモ

東京国立近代美術館「美術にぶるっ!展」に行ってきました。
行った目的は荒川修作の作品が展示されている事を知ったからです。
展示されている作品が膨大で結局3時間近く掛かってやっと美術館を出る事が出来ました。
非常に疲れました。観るという事の大変さを思い知りました。

荒川修作の展示作品は、

  • 彫刻する №1
  • アルファベットの皮膚 №3
  • 抗生物質と子音にはさまれたアインシュタイン
  • ワックスマンの胸

でした。上から二作品は、絵画?であり、下から二作品は木棺と紫の織物に埋め込まれたコンクリートの塊のような作品でした。
絵画は何かの簡単な設計図のようなものであり、そこにタイヤ痕がありました。何かを切り取った、自然を描いた、イマジネーションが発露している、そういったものではありません。そこには動きも感動もありません。絵画は事後である、と言わんばかりです。
また木棺に入ったコンクリートの塊は、理科室で何かのホルマリン漬けを観るような、残滓という言葉が浮かびます。そもそも生を終えたものから、何を見出だせるのか、キリストの聖遺物でもなく、アインシュタインとワックスマンという科学者の名?が冠された、塊を見て、私たちは奇跡も何も無く、最後は塊になる、という事実を突きつけられるだけだと思います。

その他の作品で印象に残ったものをパンフレットを見ながら上げていくと、

  • 狩野芳崖「仁王捉鬼図」(鬼の顔がコミカル)
  • 岸田劉生「麗子肖像(麗子五歳之像)」(あの有名な麗子像ではなく詳細緻密に顔が描かれているもので驚きました)
  • 藤田嗣治「五人の裸婦」(藤田嗣治が猫好きなのは知りませんでした)
  • 新海竹太郎「ゆあみ」(石膏。非常にエロティック、近くに学芸員さんがいて熱心にみるのが恥ずかしくなった)
  • 福沢一郎「Poisson d'Avril(四月馬鹿)」(男たちが居酒屋で何やらしていると思われる図)
  • 鶴田吾郎「神兵パレンバンに降下す」(戦争利用の為に描かれた絵画のようだが、空に無数に舞う白い落下傘・砲火・緑の大地・そして銃をどこかに向ける兵士は幻想的。目に焼き付いて離れない、鮮烈さがある)
  • 川端龍子「草炎」(シンプルなんだが非常に鋭利に草花を描いている屏風で目が覚めた)
  • 古茂田青樹「虫魚画巻」(蛙・蜘蛛、何だか愛嬌がある)
  • 高山辰雄「いだく」(子を抱く、という行為を奇しく描く。怖い。)
  • 草間彌生「冥界への道標」(銀色に塗りつけれた靴)
  • ヴィト=アコンチ「適応についての3つの研究」(映像作品。目を遮りピンポン玉キャッチを試みるとかギャグみたいだが、観ていると気持ち悪い感じになってくる)
  • マーサ=ロスラー「キッチンの記号論」(映像作品。こっちも不気味。外人の女性がキッチン道具を紹介しているだけなのだが。映像作品は上記の他にナウマン、ブルース「スロー・アングル・ウォーク(ベケット・ウォーク)」というのもあったのだが、画面に動きが無くて、さっさと他の展示に行ってしまった)
  • 高松次郎「遠近法の椅子とテーブル」(題名の通り)
  • パウル=クレー「花ひらく木をめぐる抽象」(パウル=クレー展でも観たのだが、やはり良いものは良い。ちなみにiPhoneのケースとして模様が入ったものを使っていたが、最近くたびれてきている)
  • ブリジット=ライリー「賛歌」(色を並べただけなんだが、この手の作品の吸引力はやはり素晴らしい)
  • モーリス=ルイス「神酒」(川村記念美術館で同作者の作品を観ているが、やはり好き)
  • 田中功起「一つのプロジェクト、七つの箱と行為、美術館にて」(唯一安心して観ていられた。映像作品だが、画面の中で若者が慌ただしく箱を設置したり、取り除いたりしている、撮影はこの美術館そのものとの事。でもすごい判ってしまう感じがある)
  • 河原温『「浴室」の連作』(グロテスクなんだが目が離せない。たぶん忘れない)
  • 剣持勇「柏戸椅子」(とても座りたくなった)
  • 濱谷浩『「裏日本」より 山の湯治場 青森」(写真。爺婆が隙間無く風呂に浸かっている)
  • 中村宏『革命首都』(この作者の展示物がおどろおどろしい感じだった)


と挙げてみたが、作品と作者が一致しているか結構怪しい。もっと映像作品を見ておけばよかったのだろうが、そうすると時間は一日では足りないと思われる。
たぶん、展示物を収録した本を会場で買うのがいいだろう。今度からそうする、たぶん。

―「美術にぶるっ!展」展覧会特別サイト―
 http://buru60.jp/index.html

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