『桐島、部活やめるってよ』

吉田大八監督作品『桐島、部活やめるってよ』を観た。
原作未読。とても面白かった。人に勧めたくなる映画だった。

映画を観た後、本作の感想や批評を一通り読んだ。
それらでは桐島=マクガフィン(物語の仕掛け)である事。桐島≒キリストであり、この物語は『ゴドーを待ちながら』なのだという事だった。私はそういう事は全く考えに及ばず、ただただ高校生たちの日常の機微を観ながら、感情を動かす事になった。

バレーボール部のリベロで県選抜の代表にも選ばれる、勉強も出来る、彼女は学校一の美人、という桐島が部活を辞め、学校にも来なくなる。
桐島の不在によって、桐島の周りにいた取り巻きたちに動揺が広がっていく。
なぜ桐島は部活を辞め、学校に来ないのか。本作では、「バレーボール部員との仲が上手くいっていなかった」「受験に備えるため」等と噂されている。
バレーボール部で桐島の穴を埋める事になった部員は、桐島の彼女に対して尋ねる。「桐島、俺らの事何か言ってなかった?」と。彼女は「もともとあなたたちの事なんか眼中に無かったんじゃないの?」と答える。部員の台詞からバレーボール部での桐島が他の部員と何らか齟齬があった可能性を示唆出来る。桐島が不在の理由を考える事は意味の無い事なのだが、何でも出来る彼もまたただの高校生なのだ。
そして桐島の彼女のこの台詞は、彼女とその取り巻きも含めてその台詞通りの意味を示す刃のブーメランである。

他方、桐島とその取り巻きの外側にいる人々にもそれぞれ結末が待っている。
取り巻きの一人、野球部の幽霊部員に想いを寄せる吹奏楽部の女子生徒は、文字通り遠くから観ていた彼への想いを断ち切る為に、わざわざ彼とその彼女の待ち合わせ場所に楽器片手に出向く。
映画部の男子生徒は中学校時代からの同級生に好意を抱くも、たまたま同級生が秘密の彼氏とクラスで二人でいる場に鉢合わせ、足早に教室と廊下を歩く。

物語の終わりに映画部と桐島の取り巻きが鉢合わせ、映画部の男子生徒が撮影するゾンビ映画が美しく完結する。
そして野球部の幽霊部員が映画部の男子生徒に何気なく尋ねる。
「将来は映画監督ですか?」
それに対して映画部の生徒は、
「んんー、映画監督は無理かな。でもねぇ、たまになんか映画監督とかとつながっている感じる時があって〜」
その答えに呆然とする野球部の幽霊部員。
先輩から練習に出なくても試合に出るよう声を掛けられていると思っていたが、最後には「応援に来てよ」と言われていた事を知る彼。
彼は結果や目的が出なくても自分の居場所を持つ野球部の先輩や映画部の男子生徒に対して、桐島といるステータスしか持っていなかった事を知る。
エンドクレジットでは幽霊部員の野球部員の名前の横に(   )と何にも所属しない事が示される。
彼がこの後、どのようになるのか、それは判らない。ただおそらく何も持っていなかった彼と、全てを投げ打った桐島は、自分の手で「確かなもの」を見つけるしかない。
しかし、なんて事はないとも思う。なぜなら子供だろうが大人だろうが「確かなもの」はそうそう手に入れられるものではないのだから。



桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)


しかしこの映画のヒロイン的な橋本愛演じる女子生徒はなんであの彼氏を選んだんだろと疑問に思ったり。とにかく中高校生時代を思い出したり、気持ちをズタズタにしてくれて素晴らしい映画だった。