『サクリファイス』『惑星ソラリス』

タルコフスキー生誕80週年映画祭にて『サクリファイス』と『惑星ソラリス』を観た。
『サクリファイス』の観客人数はそれほどでも無かったが『惑星ソラリス』は満員だった。私も『惑星ソラリス』を観る目的でこの映画祭に出向いたので、人の考える事は皆同じなんだなと感心した。

  • 『サクリファイス』

俳優を引退した男が、とある島で家族と暮らしているのだがテレビで核戦争が始まった事を知り…という話。
男は苦しみながらもこの事態こそ実は望んでいたのだと語る。他方、ニーチェ永劫回帰について語りさえする郵便局員から「生き残る方法は家政婦のマリアと寝る事だ。なぜなら彼女は魔女だから。」と言われ一笑に付すも、抗えずマリアの元を訪れる。
布に隠されながら男とマリアは一つになり宙を回転する…そして男は目覚める。
そして私たちは、男は精神を病んでおり核戦争が起きなかった事に絶望している事を知る。
男は家に火を点け、家族と家政婦のマリアに見送られながら車に乗せられ島を去って行く。
この作品を観ながら『アンチクライスト』タルコフスキーに捧げられていた事を思い出す。
なるほど、『メランコリア』もそうだったが、この世界からずれていてるという違和感、妄想によって世界と自身が一致する多幸感、違和感と多幸感後の虚脱感を埋める為の破壊、これらはラース=フォン=トリアーの作品と一致している。
男が日本の音楽を聴きを聴きよく判らん和装をしているのはそういう精神的なものに対して志向している事をあらわしているのだろうか?
前半の室内での俳優たちの立ち位置まで考慮された映像は非常に美しい*1

リメイク版『ソラリス』も観ており、原作『ソラリスの陽のもとに』も読んでいる。しかし、どの作品も微妙に差異がある。
ソラリスの宇宙ステーション「プロメテウス」*2に於いて主人公のもとに亡くなったはずの妻が現れる。亡くなったはずの妻をロケットで打ち飛ばしてもぶちのめしてもまた現れる。先にソラリスに滞在した科学者は主人公に「結局、良心の問題なのだ」という言葉を残し自殺している。
主人公は蘇る妻と共に過ごす―良心に従う事を選ぶ。そして主人公の妻は自分の存在はソラリスが作り出した事を知り、宇宙ステーションから消える。
他方、先に滞在した科学者たちは、ソラリスが復元する記憶は素粒子で構成され、惑星ソラリスの磁場に於いて安定する事を発見、実験中にソラリスの海に放射線が漏れた事が原因であると語る。
死んだ人間がよみがえる事は生を希薄化させ逆説的に生の一回性を強調させる。『惑星ソラリス』に於いて主人公はよみがえる妻に対して、諦めた妻の自死を記憶から呼び起こし、反省の念と同じ事を繰り返さないため―良心に従い妻と過ごす事を選ぶ。
生の一回性は後悔や絶望を良心の呵責から救う事が出来る。しかし惑星ソラリスはそれを復元して人間を(結果的に)揺さぶる。しかしそれは惑星ソラリスでも無くても良いのでは―例えば消す事の出来ないネット上のログでも、例えばSNS上でふとして現れるもう何年も会っていない友人でも―。この事態もまた技術的に回避出来るという事も知っている。しかしそれを選ぶ瞬間「結局は良心の問題なのだ」と台詞が頭の中をよぎる*3


惑星ソラリス [DVD]

惑星ソラリス [DVD]

*1:ああ、やっぱりラース=フォン=トリアーってすごい影響受けているという。

*2:ここでもか!

*3:話題が変わるが平野啓一郎が週刊誌モーニング内で先頃連載を終えた『空白を満たしなさい』という物語もまた、生の一回性を現代の状況に合わせて問題提起している。