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福島県相馬市に行った事

メモ

GWに福島県相馬市を尋ねた。
東日本大震災後、南相馬市という言葉を何度も聞き、見る事になった。そして私は生まれた相馬市を意識する事になった。
生まれて4年程住んでいたので、おぼろげに記憶はあった。関東に移り住んだ後も、父母の実家の尋ねる際は父が気を遣ってか、相馬市を車で通ってくれた事もあった。
一度生まれた場所見たい、地震後の福島の様子を見たいという野次馬根性が生じてから一年が経った。
父母に相馬市に住んでいた住所を尋ねるため電話をしたところ、父は知り合いの仕事の相談に応えるため相馬市を尋ねたという。「まだ津波の被害は見て取れる」と。そして母は「仲の良かった〜君、無事かしらね。たしか〜という場所に引越す予定と聞いていたけど」と。友人、とは言っても4歳の頃のお友達という奴で相手は私の事も覚えてもいないだろう。しかし安否の確認なら出来るかもしれないと思い、母から大体の住所を聞いておいた。

新宿でレンタカーを借り東北道を利用して相馬市を目指した。天気は土砂降り、GWが原因による渋滞もひどかった。二本松ICから下道を利用して相馬市を目指した。
結局相馬市に着いたのは午後3時頃だった。レンタカーの返却期限は一日だったため、滞在時間は2時間程しかなさそうだった。私は失敗したなと思った。
私はまず自分が住んでいた場所を尋ねた。おんぼろの平屋の借家だったため、取り壊されているかと思ったが未だに残っていた事に驚いた。そして自分が見知っていた場所が50メートルにも満たないものだった事に思わず笑ってしまった。

母から聞いた友人が引っ越したという場所を尋ねた。詳しい住所は判らなかったため、車を降りて人に聞いて見る事にした。二、三件尋ねたところ、若い女性が応対してくれた。彼女は「私、実家に戻ったばっかりで。でもおばあちゃんなら判るかもしれないのでちょっと待ってて」という。奥から出てきたおばあちゃんは「〜さんか。なら反対側に住んでると思う」と。わざわざ車を出し「反対側」を案内してもらった。反対側で更に人に尋ねたところ、すぐに友人の家は見つかった。友人の家を尋ねたが、誰も出てくる事はなかった。おそらく長期休暇を利用してどこかに出掛けているのだろう。私はその場を後にした。

松川浦を尋ねたが土砂降りで何も判らなかった。津波による被害を受けたと思われる建物を写真に撮った。今思えば何かもっと別のものも撮ればよかったと思う。











帰りは土砂降りが更に悪化、佐野藤岡ICから先の道が閉鎖され下道を利用して東京を目指した。
東京新宿歌舞伎町の信号で多くの人が行き交っていた。

友人が福島に転勤になり一度こちらを訪ねてくれとも言われている。近いうちに福島県には行く事になると思う。
急に尋ねたにも関わらず応対してくれた方々には感謝しています。ありがとうございました。