つながっていく予感『この空の花―長岡花火物語』

大林宣彦監督作品『この空の花―長岡花火物語』を観た。

ラジオを聴いていると原田夏希がMCを勤める番組に大林宣彦がゲストとして迎えられ本作について語り合っていた。その時はさほど本作に興味を持たなかった。
しかしTwitter中森明夫椹木野衣が本作について熱心に語る姿をタイムラインに見掛け、本作の何が特別なのか関心を持った。

天草の地方新聞記者である女性が新潟県長岡市を訪れる。元恋人から届いた、ある生徒が台本を作成した「まだ戦争には間に合う」という演劇と、戦争と地震への追悼として打ち上げられる長岡の花火を観て欲しい、と。
本作はセミドキュメンタリーであり、戦争と地震―この地震が指すのは東日本大震災だけでなく中越沖地震を含む―より生きる人々、生き残った、想いを伝える為に蘇った人々が、時と場所を越えて観客に語り掛けるものである。
長岡市に落とされた模擬原子爆弾原子爆弾の構造と花火の類似、花火の轟きと空爆の音、花火師が送られたシベリア抑留時の体験、空爆で亡くなった幼子の想い、東日本大震災で被災者として受け入れられた青年、長岡市の記者が紡ぐ戦争を語り継ぐ人々のインタビュー記事、インタビュー記事の題名が「まだ戦争には間に合う」というものだった事、その記者の元恋人が働く東日本のボランティア施設etc,etc.
全ての出来事に背景があり、つながりがある。注意深く物事を捉えていけば、自らも当事者として背景から浮かび上がり、時と場所を越えて繋がっていく。誰もが当事者であり他人ではないという事実を観客さえも巻き込んで物語は進む。

観客に語り掛ける人々は、「勝手にしやがれ」を思い出させた。ひたすらテロップ付きで流れる焼夷弾や戦争の説明は子どもや知識の無い人々に対する配慮だろうか―観客に理解を促し、そして巻き込もうとしている点で、この映画は一貫している。
作品の登場人物とそのモデルが入り乱れ、劇中劇「まだ戦争には間に合う」を見守る姿、そして戦争で亡くなった兄が残したというサクソフォンを片腕の弟が奏でる音色に、感情が高ぶっていくのが判った。